[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
前回に続いて、いくつかの問答のケースの例を考察したいと思います。
#ケース3
「机の上にリンゴがありますか?」「はい、机の上にリンゴがあります」
この問いを理解するということは、(他の問いの場合と同様に)この問いの上流問答推論や下流問答推論の正しさを判別できるということです。ところで、この問いの意味論的前提(つまりこの問いが正しい答えを持つための必要条件)の一つは、「机がある」ということです。この問いの前提を認めるためには、机を知覚する必要があります。さらに、この問いに答えるためには、机の上を見てリンゴがあるかないかを判断する必要があります。
つまり、この問いの前提が成立しているという認識は、知覚に基づくものなので、問答はアポステリオリに成立します。そして、答えは問いの分析によって与えられるものではありません。したがって、この問答関係はアポステリオリで綜合的なものです。
#ケース4:問いを理解することによって、問いの前提が成立する問い。
出張が多くて、ホテルに泊まることが多い人は、目覚めたときに、自分がどこにいるのかわからなくて次のように自問することがあるでしょう。
「私はどこにいるのだろう?」
このように自問する人は、当然この問いを理解しています。この問いの前提は、「私がどこかに存在する」ということです。したがって、人がこの問いを理解するとき、この問いの前提は成立しています。つまり、この問いは常に有効であり、それに対して真なる答えが存在することになります。この意味で、この問いはアプリオリに成立します。
他方、この問いに答えるには、昨夜の行動を思い出し、その記憶に基づいて答える必要があります。あるいは、昨夜の記憶がないなら、部屋を出て、そこがホテルであるのかどうか、どこにあるホテルなのか、などを確認する必要があります。したがって、この問いに答えることは、綜合的です。このように考える時、この問答関係はアプリオリで綜合的だ、と言えそうです。
前回のケース1と今回のケース4はともに、問いを理解するとき、常に問いの前提が成立しています。しかし、二つのケースには、次のような違いがあります。
ケース1では、問いの前提の成立は、問いの理解と無関係である。
ケース4では、問いの前提の成立が、問いの理解によって生じる。
前回のケース2と今回のケース3はともに、問いを理解するときに、常に問いの前提が成立しているとは限りません。
ケース2では、問いの前提が成立するとき、問いの前提の成立から、答えが分析的に帰結します。
ケース3では、問いの前提が成立するとき、問いに対する答えは、知覚や記憶を介して、綜合的に与えられます。
これらをまとめると次のように言いたくなります。
ケース1の問答関係は、アプリオリで分析的
ケース2の問答関係は、アポステリオリで分析的
ケース3の問答関係は、アポステリオリで綜合的
ケース4の問答関係は、アプリオリで綜合的
問答関係としての真理をこのように4つに分類することができるでしょうか。
この分類は整合的でしょうか?明晰判明でしょうか?有用でしょうか?
これを次に考えたいと思います。