31 フィヒテのスピノザ批判 (20210918)

[カテゴリー:日々是哲学]

唐突ですが、9月末までに、「フィヒテのスピノザ批判」についての論文を仕上げなければなりません。それと並行して別のことを考える時間がないので、しばらくフィヒテについて書くことにします。

フィヒテにとって、スピノザは生涯にわたる最大の論敵でした。もちろんスピノザ(1632-1677)とフィヒテ(1762-1814)の間には100年以上の隔たりがあります。フィヒテがスピノザを論敵と考えたのは、彼がスピノザを唯物論者だと考えたためです。フィヒテにとっては、唯物論(彼にとっては「実在論」も「独断論」も「唯物論」と同じ意味でした)は、物自体だけが存在するという主張であり、意識もまたその物自体によって説明されるものです。現代哲学では、自然主義者の立場になると思います。フィヒテがこの唯物論を批判するのは、それが自由を否定するからです。彼にとって自由は何よりも重要なものでした。脳研究やAI研究が進んでいる現代においても人間の自由は、脅かされています。フィヒテの時代に、スピノザを読んで自由の危機を感じたのは、一部の知識人だけだったでしょうが、現代では、ほとんどの人が、自由の危機を感じているのではないでしょうか。その意味では、フィヒテが、スピノザをどう批判し、自由を擁護したのかを確認することは興味深いことではないでしょうか。

(ただし、フィヒテのスピノザ理解が正しかったのかどうか、つまりスピノザの全体像が、フィヒテが考えていたような唯物論者であったのかどうかについては、反論の方が多いかもしれません。しかし、スピノザが意志の自由を認めていなかったことは事実だとおもいますので、フィヒテがスピノザを最大の論敵とみなしたことは、スピノザに対する誤解ではないと思います。)

 次回から、フィヒテのスピノザ批判を説明します。