53 朱喜哲さんへの回答(4)「命題」の原初性と「真理」の原初性(20211201)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

#「命題」の原初性と「真理」の原初性

前回の最後に、次のように書きました。

「「命題」へのコミットメントを原初概念にすることと、「真理」概念を原初概念にすることの間には、大きな違いがある、という指摘があるかもしれません。」

 ブランダムによれば、カントは「判断」を「経験の最小単位」とみなし、フレーゲは「判断可能な概念内容」を「語用論的な力を付与できるもの」とみなし、後期ウィトゲンシュタインは、「文の発話」を「言語ゲーム中の一手」とみなし、これら三者と同じくブランダムは、「命題」へのコミットメントを、言語の使用を考察する語用論における原初的なものと考える「命題主義」を採用する。(『推論序説』前掲訳、18f)。

 他方で、ブランダムにとって「真理」は意味論的な概念です。そして、ブランダムは意味論において「真理」を原初概念とは見なしません。彼の意味論における原初的概念は、「実質推論」であると思われます。

 したがって、ブランダムから見ると、「命題」へのコミットメントを原初概念にすることと、「真理」を原初概念にすることには大きな違いがあります。そのような意味論は、推論主義とは相いれないものです。

 

 このように考える時、朱さんが引用された箇所での、私の「真理」や「真」の使用は、明らかに説明不足で不用意でした。では、どのように修正したらよいでしょうか。

 一つの修正方法は、「真なる推論」の説明を「推論が妥当であり、かつすべての前提と結論が真であることだと定義できる」(『問答の言語哲学』] 122)から「推論が妥当であり、かつすべての前提と結論にコミットしていることだと定義できる」へ書き換え、さらに「推論が妥当であるとは、前提にコミットするならば、常に結論にコミットすることである」という説明を補うことです。

 ただし、合評会での応答で言ったように、「真である」を「コミットする」に置き換えるだけでは、「真理」概念の原初性を否定出来たとしても、推論の妥当性(正しさ)をそれを構成する命題の性質(真理性や適切性やコミットメントなど)から説明するという要素主義的アプローチであることに変わりはなく、「実質推論」の原初性を主張することとは両立しないと言われる可能性があります。

 

 「推論の正しさ」ついて、ブランダムならばどう考えるでしょうか。ブランダムの「推論的意味論」と「規範的語用論」の間に齟齬はないでしょうか。「推論的意味論」では、命題の意味はその推論関係によって明示化されるものです。そしてその場合の推論とは「実質推論」であって、最終的には社会的サンクションによって正当化されています。他方「規範的語用論」では、「命題」へのコミットメントが原初的なものであって、「命題主義」をとります。前に述べたように「雨が降っている」という命題を主張するとき、「道路が濡れている」という命題へコミットすることが責務となります。「推論的意味論」は全体論的であり、「規範的語用論」は要素主義的である、という齟齬があるのではないでしょうか。

 「雨が降ったら、道路が濡れる」という実質推論を受け入れることは、<主張発話することが、どのような前提を持つか(それ発話する資格はなにか)(上流推論)、それからどのような発話にコミットすることが責務となるか(下流推論)、どのような主張と非両立であるか(何が禁止されるか)(下流推論)、など>を受け入れることと同じことです。 

 もしこのように言えるならば、「規範的語用論」では、発話行為の意味を、発話行為の規範的推論関係で説明できることになるでしょう。つまり、発話行為の意味を推論主義で説明できそうです(これは「内容紹介と補足説明」で言及したように、ハーバーマスが「語用論的意味論」として指摘していることです)。このような「規範的語用論」は、「命題」へのコミットメントを原初的なものとみなす「命題主義」ではなく、「発話行為の推論主義」とでもいうべきものになります。

 もしブランダムの言う「命題主義」を、規範的語用論における「命題」へのコミットメントの原初性の主張、というように強い意味に理解するならば、それは発話行為の意味の推論主義的な理解と両立しないように見えます。(これ以上議論できる用意がないので、ここでは、このような疑問点を述べるにとどめます。おそらくは、何らかの仕方で整合的にブランダムを読めるのでしょう。)

 さて、上記の「修正」のように、推論の妥当性を「コミットメント」という語用論的概念を用いて説明するならば、語用論に関して要素主義的なところがみられるブランダムの議論と両立可能になるのではないか、と期待します。

 これまでの話は錯綜していて、私の立場が曖昧になってしまっているので、次回は、私が考えている「推論の妥当性」と「真理」について、直截に説明します。