63 三木さんへの回答(4)(問答)推論的意味論で何ができるのか (20211218)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

「(問答)推論主義的意味論を意味論の方針として採用したとき、いったい意味論の研究者はどういう研究をすることになり、またそれによって言語についてどのような知識が得られることが期待されているのだろうか?」

(私は、ブランダムは「推論的意味論」と言い、「推論主義的意味論」とは言わないと思っていたのですが、朱さんが紹介してくれた論文 ‘Reply to JERRY FODOR and ERNEST LEPORE’s “Brandom Beleaguered” in Reading BRANDOM のなかで使用していました。) 

推論的意味論によって可能になることの一つは、<語や文を理解するときに、私たちが暗黙的に想定している(それらの表現に関わる)実質推論の能力を明示化する>ということです。ただし、暗黙的な実質的推論の明示化の作業を個々の語や文について行うということではなく、いくつかの事例を示して、必要に応じてが人々がそれを行えるようにするということだとおもいます。

推論的意味論によって可能になるもう一つのことは、形式意味論に、適切な出発点となる「モデル」を提供するということではないでしょうか。三木さんによれば、形式意味論は、基本的にモデル論的であり、そこでの研究目標はおおむね「関連する語彙項目に集合論的対象をうまく割り当てることで、ターゲットとなっている現象を集合論レベルで再現する」ことです。では、ある語彙に対象のある集合を割り当てるとき、「うまく割り当てる」ことができているかどうかをどうやって判断するのでしょうか。人工言語ならばその割り当てを「定義」とみなすこともできますが、日常言語の意味論を考える時には、その判断を行うには、私たちの日常でのその語彙の使用に一致するかどうかを見るのだと思います。そして、日常でのその語彙の使用法を明示化しようとするときに、その語彙を用いた文の上流推論や下流推論を明示化しているのだとすると、最初のモデルの設定の段階で、暗黙的に(問答)推論的意味論を利用しているということにならないでしょうか。

ある語彙をもちいた文の実質推論を基盤にして、それから比較、代入、抽象などの操作(この操作もまた(問答)推論になっています)によって、語彙の意味についてのモデル論的な説明が成立すれば、それから出発して、形式意味論が目標とするような、文の合成や文の意味の説明が可能になるとおもいます。

推論的意味論は、発話の意味を理解するときに、上流推論と下流推論の両方を理解する必要があると考えます。主張可能性意味論は上流推論のみを考えている点で不十分であり、プラグマティズムは下流推論のみを考えている点で不十分だといいます。(形式的意味論が真理条件意味論を採用するとすれば)真理条件意味論は、「「p」は真である」の同値文を示すので、それは上流推論にも下流推論にもなりますがしかし、その同値文は、「「p」は真である」の一部の上流推論と下流推論だけを示しており、多くの上流推論や下流推論を考慮していません。ブランダムならば、この点が不十分だというでしょう。

ブランダムのこの主張を継承して、私は、疑問文の意味論に関しても、上流問答推論と下流問答推論を考慮することが必要だと考えています。現在の疑問文についての意味論は、命題集合説と関数説に分かれており、どちらの説も、疑問文の問答下流推論だけを考慮するものであって、不十分だと説明しました(『問答の言語哲学』の1.2.2.3)。三木さんが紹介されたCiardelli, Groenendijk & Roelofsen のInquisitive Semantics(2019, Oxford Univeristy Press)は、命題集合説のなかの新しい試みのようです。したがって、やはり問答下流推論だけを考慮していると言わざるをえません。ただし、この本は、疑問文の意味論だけでなく、「平叙文と疑問文の統合理論」をつくる試みのようで面白そうです。

 

次に、私にとっても重要そうなので、形式意味論に対するブランダムの批判を見ておこうと思います。