58  朱喜哲さんへの回答(9)朱さんの「提案」について (20211212)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

朱さんは、問答主義と推論主義は両立しないとみなし、『問答の言語哲学』では、語の意味から文の意味を説明する「合成的意味論」と文の意味から語の意味を説明する「推論的意味論」が混在していると見なします。そこで、「問答主義」をメタ意味論として、そのもとで、合成的意味論と、推論的意味論の両方を使い分ければよいのではないか(あるいは、すでにその方向をとっている)という提案をしています。

 たしかに、『問答の言語哲学』は、2.1では、語句の意味を「真理条件意味論」ないし「合成的意味論」で説明し、1.2では、ある種の語彙の意味(論理的語彙、疑問表現の語彙など)や文の意味を「推論的意味論」で説明し、二つを使い分けている、と見られても仕方がないところがありました。

 しかし、『問答の言語哲学』で暗黙的に目指していたことを、朱さんの質問に答える中で前回、明示化できました。それは<意味の原子論と命題主義的全体論の対立問題を棲み分けによって解決するのではなく、その対立問題を問答推論的全体論によって解消する>というプログラムです。(この場合、朱さんが想定していた、ゲリマンダリング問題は生じません。二種類の言語表現の区別が解消するからです。)

 合評会でお答えしたように、問答推論主義は、ブランダムの「推論主義」のフルパッケージ(推論的意味論+規範的語用論)を採用し、それを拡張することを意図するものです。

 もし、私の主張とブランダムの主張の間にズレがあるとすれば、それは言語の中心部(downtown)の内部にあります。ブランダムは中心部を次のように説明します。

「プラグマティックな合理性は、言語が中心部をもつという見解である。その中心部は、主張をし、主張の理由を与え求めることからなる。」(BSD, 43)

この中心部には、「主張」と「その理由を与え求めるゲーム」があります。後者は問答推論になると思いますが、この問答推論よりも「主張」を先行させるのがブランダムです。それに対して、私は主張よりも問答推論が先行しており、主張は問いに対する答えとして成立すると考えています。

 次に三木さんからの質問に答えたいと思います。