54 朱喜哲さんへの回答(5)問答の観点からの「真理」と「問答推論の妥当性」(20211203

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

#「真理」概念について

 現代哲学では、「真理」概念は、「命題」の性質と考えられています。「真理」のインフレ主義はそれを命題の実質的性質(事実との対応や他の命題との整合性)として理解しますし、真理のデフレ主義は、「…は真である」という真理述語が形式的性質ないし論理的性質(引用符解除機能や同値性原理や代文機能)だけをもつことを主張します。

 これに対して私は、「真理」概念は、命題の性質ではなく、問答関係の性質であると見なすことを提案したいと思っています。その理由は、知識(ないし認識)は問答として捉えられるべきだということにあります。

 知識については、伝統的な「正当化された真なる信念」という定義が不十分だと指摘されて以来、内在主義、外在主義、信頼性主義などの論争がありますが、この論争において、知識とは、命題知のことでした。しかし、私は、知識(認識)は、命題としてではなく、問答として成立することを提案したいのです。これを簡単に説明すると次のようになります。

 ①命題知は命題の理解を前提するのですが、命題の理解は、相関質問との関係において可能になります。

 ②原初的には<命題の理解>と<命題の真理性へのコミットメント>は融合しています。つまり、(問いの答えとなる)命題へコミットすることは、(問いにおいて既に表現されている)ある文未満表現へのコミットメントと(答えの中で新たに加えられる)ある文未満表現へのコミットメントを結合することです。

 ③したがって、知識(命題の真理性へのコミットメント)は、ある命題を答えとする問答関係へのコミットメントして成立します。

 それゆえに、「真理」もまた、「命題」が持つ性質ではなく、知識(認識)としての「問答(ないし問答関係)」がもつ性質であると考えます。

(この真理論については、二年前の世界哲学の日記念講演会「真理について――問答の観点から――」(20191116)で論じました。その時の資料は、以下のURLにあります。

https://irieyukio.net/ronbunlist/presentations/20191116世界哲学の日記念講演会.pdf )

したがって、私は、「命題」についての「真理性」概念の原初性を主張することはありません。「問答」についての「真理性」概念の原初性を主張するかどうかについては、「推論の妥当性」を考察した後に、考えます。

「真理」が問答関係の性質であるとするとき、問答推論の妥当性は次のように説明できます。

#「問答推論の妥当性」について

問答推論の妥当性については、『問答の言語哲学』第1章の最後に説明しました。そこでは、問答推論を4つの型にわけて説明したのですが、全ての形に共通する部分は、次のようになります。

  「(Ci)前提にコミットするならば、常に結論にコミットすること。(前提や結論が平叙文であれば、それにコミットするとは、もしそれが真理値を持つ文ならば、真であることにコミットする。もしそれが真理値を持たない文ならば、その適切性にコミットすることである。前提や結論に問いが含まれるならば、その問いにコミットするとは、問いが健全であること、言い換えると、問いが真なる(ないし適切な)答えをもつことにコミットすることである。)」

 要するに、<問答推論が妥当である>とは、<前提の中の問いの健全性(真なる/適切な答えを持つこと)にコミットし、他の平常文前提の真理性/適切性にコミットするならば、常に結論の真理性/適切性にコミットすること>です。

 ところで例えば、「Q,r,s┣p」という問答推論がある時に、平叙文前提のrとsの真理性にコミットするとは、(rの相関質問をQrとし、sの相関質問をQsとするとき)Qr-rという問答関係にコミットし、Qs-sという問答関係にコミットすることです。そしてここが重要なのですが、結論pの真理性にコミットすることは、前提の問いQとpの問答関係Q-pにコミットするということです。(これによって、問答推論全体が一つの纏まりとして結合されます。)

 そして、<問答推論「Q,r,s┣p」が妥当である>とは、<Qの健全性にコミットし、Qr-rにコミットし、Qs-sにコミットするならば、つねにQ-pにコミットすること>です。

 では、「問答推論の妥当性」のこの説明は、問答関係へのコミットメントを問答推論に対してより原初的なものとみなしているでしょうか。そうではないことを、例を挙げて説明したいと思います。たとえば、一つの前提rについて言えば、Qr-rへのコミットするためには、「Qr,Γ┣r」(Γは平叙文の列)という形式の何らかの問答推論にコミットすることが必要です。問答へのコミットメントは、問答推論の妥当性へのコミットメントを前提しており、この二つ(問答へのコミットメントと問答推論の妥当性へのコミットメント)は互いに入り組んでいます。したがって、「問答」へのコミットメントの原初性を主張することはできません。

 前回も述べましたが、朱さんが引用された箇所での、私の「真理」や「真」の使用は、明らかに説明不足で不用意でした。前回のべた修正を行うだけでなく、今回述べた「真理」概念についての新しい理解を説明として加える必要があるとおもいます。そして、このような修正を行うならば、そのとき私の議論は、ブランダムの「推論主義」と両立すると考えます。

 この第二の指摘は、重要でかつ有益なものであったので、回答が長くなってしまいましたが、次回は第三の指摘に回答したいとおもいます。