[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
三木さんの後半の質問(2)は「問答論的超越論的論証」についてのものです。これは3つに分かれています。まず一つ目から答えたいと思います。
2(A):この背後にはどのような思想的な広がりがあるのか?
この質問の説明は短いので再掲します
「この章で入江さんはコミュニケーションの超越論的条件や、とりわけおよそコミュニケーションを可能にす
るための倫理的な条件を探求している。これは個々の意味論的、語用論的な現象を説明するというのとは、次
元の異なる試みであるように思われて、興味を引く。勝手な想像だが、ここには単に「言語現象を説明して終
わり」に尽きない、何らかの目論見があるのではないか? 何かもっと大きな目標があったうえでのコミュニ
ケーションを可能にする条件の探求なのではないか? もしそうしたものがあるなら、教えてほしい。」
「第四章 問答論的超越論的論証」では、コミュニケーションが可能になるための必要条件、いいかえると問答が可能になるための必要条件を、問答論的矛盾を避けるための必要条件として説明することを試みました。『問答の言語哲学』につづいて、その成果を、認識、実践、社会問題へと展開していく予定なのですが、認識も実践も社会も、問答ないしコミュニケーションによって成立しているとすれば、問答が可能になるための超越論的条件は、認識や実践や社会の成立の超越論的条件にもなるだろうと思います。これが、この第4章の議論の背後で私が想定している「思想的な広がり」だといえるものです。