66三木さんへの回答(7) 問答論的矛盾とは何なのか?(20211224)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

2(B):問答論的矛盾とは何なのか?

「問答論的矛盾とは何なのかということが気になる。それは入江さんによれば答えの発話がそれ自体としては意味論的にも語用論的にも矛盾しないにもかかわらず、先立つ問いへの答えとして発話されるときには矛盾する事態である(210 頁)。しかし、「矛盾する」か否かの判定は何によってなされるのだろうか?」

まず、「問答論的矛盾」の「矛盾」を説明したいと思います。

例えば、

  「私の言うことが聞こえますか?」「いいえ、聞こえません」

この問答がおかしいのは、もしこの答えが正しければ、問いが聞こえていないはずだから、この問いに答えることができないにもかかわらず、この問いに答えていることです。もう少し明確に言うと、「問いに答えているのだから、問いが聞こえている」ということと、答えの命題内容「問いが聞こえない」が矛盾しています。

 このような問答論的矛盾に関する三木さんの疑問の一つは、「聞こえますか」という問いに「聞こえません」と答えること、また「日本語がわかりますか」という問いに「わかりません」と答えることは、実際にありうるのではないか?というものです。

 このような場合があることは私も認めます。しかし、この問いを「文字通り」に理解した上で、「文字通り」の意味で「聞こえません」や「わかりません」と答えることは、ありえないと思います。つまり「文字通り」の意味とは、「はっきりとは聞こえません」とか「日本があまり分かりません」という意味ではなく、「全く聞こえません」「全く分かりません」という意味です。

 「聞こえません」という返答があるとき、それを文字通りの意味では理解できなので、私たちはそれらを、「あまり聞こえません」という意味を持っていると理解します。つまり、グライスのいう「協調の原理」が働いて、その発話が適切な意味を持つように「あまり聞こえません」という意味(つまり、グライスの言う「会話の含み」)で理解しているのだと思います。

 三木さんは、もう一つ別の疑念も示しています。

「もともと文の意味はその問いとなるものとそこからの問いとなるものによって理解されているのだった。そして何が何の問いとなり、答えとなるかは、おそらく社会実践によって決まるのであろう。では社会実践を見ると、「あなたは日本語がわかりますか?」という問いに「あまりわからない」と伝えようと「いいえ、わかりません」と答えるというのは、許容されているように思える。とすると、「あなたは日本語がわかりますか?」の意味の一部として、「いいえ、わかりません」と答えうることはすでに含まれていることにならないのだろうか? おそらく私がよくわかっていないのは、「文字通りの意味」というのがどこから出てきた何物なのか、ということなのだと思われる。これが現実の推論実践から帰納的な仕方で導かれるものであるならば、「いいえ、わかりません」は文字通りに妥当な答えとなりそうなものだが、そうではないようだ。」

 問答推論的意味論では、疑問文を含む文の意味は、その上流問答推論関係と下流問答推論関係に他なりません。したがって、「「もともと文の意味はその問いとなるものとそこからの問いとなるものによって理解されているのだった。そして何が何の問いとなり、答えとなるかは、おそらく社会実践によって決まるのであろう」というまとめは、その通りです。文の意味が、現実に社会で行われ認められている実質問答推論によって成立するものであるとしたら、「聞こえますか」に「聞こえません」という問答が社会で現実に行われている以上は、それが「文字通りの意味」であることになりそうだ、という指摘です。

 これは鋭い指摘ですが、この疑念に対する応えも、前のものと同様になります。ある文の発話が、「文字通りの意味」を伝えるために用いられる時と、「会話の含み」を伝えるために用いられる場合があるということ、つまり発話が二つの意味を持ちうるということも、社会的実践がみとめることです。ですから、「聞こえません」が「あまり聞こえません」の意味で用いられるとしても、それが「文字通りの意味」であるとはかぎりません。

 私が問答論的矛盾の説明でつかう「文字通りの意味」を「会話の含み(implicature)」と区別することによって説明したいとおもいます。この区別は関連性理論の用語では「表意(explicature)」と「推意(implicature)」となります。『問答の言語哲学』第2章2.3では、「会話の含み」がどのようにして構成されたり、理解されたりするのかを、次のように説明しました。文の「文字通りの意味」は、相関質問と当該の文の発話の関係をつくる問答推論関係によって成立しますが、これに対して「会話の含み」は、相関質問に対する答えではなく、より上位の問いにたいする答えとして理解できます。ここには、Q2→Q1→A1→A2という二重問答関係があります。これをより丁寧に説明すると次のようになります。

  Q2〔「十分に聞こえますか」〕

    Q1「聞こえますか」

    A1「聞こえません」(このQ1→A1という問答は、問答論的矛盾になるので、ありえません。)

  A2〔「あまり聞こえません」〕(〔 〕は会話の含みを表します)

Q1とA1が実際に発話されたものですが、それらの問答がありえないので、Q1はQ2を問うていたのだと解釈され、A1はA2の意味であると解釈されるのです。Q2は、Q1の含みを明示化したものであり、A2は、A1の含みを明示化したものです。

次に語用論的矛盾についての質問に答えたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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