[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
佐々木さん質問は、(71回で述べたように)次のようなものでした。
「ハーバーマスは、ブランダムの推論主義をとるとき「概念実在論」にいたると指摘し、その点を批判していました。入江さんが、ブランダムをフルパッケージで継承し、推論主義をとる時、「概念実在論」をとるのでしょうか。また入江さんはハーバーマスが「概念実在論」を批判することについては、どう考えるのでしょうか。」
これに答えるためにここまでは、ハーバーマスとブランダムの「概念実在論」の理解と論争を確認してきました。とりあえずの準備は出来たので、これに答えたいとおもいます。ご質問をさらに短くまとめると次の二つです。
質問1、私は、「概念実在論」を採用するのかどうか。
質問2、私は、ハーバーマスによる「概念実在論」への批判をどう考えるのか。
(質問1への答えを考えていたのですが、まだ時間がかかりそうなので)
まず質問2に答えたいと思います。
ハーバーマスの考えている「概念実在論」は、ブランダムの用語を使って、次のふたつの主張の組み合わせとして理解できると考えます。
主張1:存在するのは、物ではなく事実であり、事実は、概念的に構造化されています。事実は、他の様々な事実と、推論的関係(帰結と両立不可能性)にあります。
主張2:ある事実が暗黙的に持つ推論関係が無数にあります。そしてほとんどの推論関係は現実には語られていません。しかし語られていなくても、すべての事実は、他の事実との間に帰結や両立不可能性などの関係を持ち、それによって成立しています。
ブランダムは、主張1を認めるのですが、主張2を批判します。ブランダムは主張2を次の主張3に取り換えると思います。
主張3:ある事実の他の諸事実との客観的推論的関係(帰結と両立不可能性)とある事実についての主張と他の諸事実との主観的推論関係(帰結と両立不可能性)は、相互に意味論的依存の関係にあります。したがって、事実は、事実についての主張から離れて成立するものではありません。(ブランダムは、主張3を(あるいは主張1+主張3を)「客観的観念論」と呼びます。)
ハーバーマスによる主張2への批判は、正しいと思います。しかし、ブランダムは主張2を採用していないのだから、それはブランダムへの批判にはなりません。
ハーバーマスのブランダムに対する第二の懸念、I-youコミュニケーションへの軽視については、ブランダムも認めています。しかし、I-youコミュニケーションを重要ではないと考えているわけでありません。彼がそれを今後考察する可能性はあるとおもいます。ここでは、「主張」を基礎的な言語行為とみなすことに対する批判も述べられていましたが、ブランダムはそれに直接には応答していなかったように思えます。ブランダムのいう「主張」は大変広い概念ですが、キーポイントはそれが「理由を与え求めるゲーム」を始める行為であるという点だと思います。それゆえに、遂行的は発話(命令、依頼、約束、表現、宣言)などもまたこの「主張」に含まれると思います。この「主張」は、記述であるとか真理値を持つとかによって、他の言語行為から区別されるようなものではありません。オースティンやサールがいう「主張」ではありません。したがって、遂行的発話の重要性を軽視しているという批判は当たらないとおもます。
第三の懸念、認識判断の規範性と道徳判断の規範性を同質化するという批判については、ブランダムは、判断の規範性一般の考察を、道徳を考える上でも必要になる基礎的な考察として行っていると答えていました。認識の規範性と規範(道徳的規範に限らない規範)の規範性が異質なものではないかというハーバーマスの批判に対して、ブランダムのこの応答は十分であるとは思えません。二つの規範性が異質であるか、同質であるかについて答える前に、それらの規範性についての分析を進める必要があるという応答ならば、私はそれに賛成します。
以上のように考える時、ハーバーマスのブランダムへの批判(懸念)は、成功しているとは言えません。しかし、ブランダムの立場を明示するうえでは、大いに役立ったとおもいます。
次に質問1に答えたいと思います。