67「命題の統一性」の問題 (20220307)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

「問答関数」の構想は、「命題の統一性」についての新しい説明を前提していますので、まずこれを説明したいと思います。

#「命題の統一性」の問題

デイヴィドソンは、この問題を次のように説明している。

「英語では、「John mortal(ジョン死ぬ運命)」は文ではない。これが文となるのは、語「is」が名詞と形容詞の間に挿入されたときである。これは構文論ないし文法上の事実である。しかし、コプラの意味論的役割りは何であろうか。」(デイヴィドソン『真理と述定』津留竜馬訳、春秋社、2010、p.100)

つまり、命題の統一性の問題とは、<ある語の並びが文となるのはどうしてか>という問題である。この例では、繋辞によって、語の並びが文に変化している。それゆえに、デイヴィドソンは、「命題の統一性」の問題は「述定の問題」であると見なしている。

#命題を統一するのは、問答関係である

ここで提案したいのは、<語の並びが文となるのは、語の並びが問いに対する答えなることによってである>ということです。

例えば、「これリンゴ」は、次の問いの答えとして発話されるなら文となります。

 「これは何ですか」「これはリンゴ」

この場合「これはリンゴ」は「これはリンゴです」と同じ意味をもつでしょう。もし「です」という繋辞によって、語の並びが文になるのならば、それが欠けているのに文になるということは説明できません。

 しかし、次の反論があるかもしれません。ここでは「です」が欠けているのではなく、省略されているだけである、という反論があるかもしれません。私も、この答えは「これはリンゴです」の省略形であることに賛成しますが、しかしそれは最初の提案の反論にはなりません。その省略が可能なのは、それが「これは何ですか」という問いに対する答えだと理解されているからです。つまり<語の並びが文となるのは、語の並びが問いに対する答えなることによってである>が成り立ちます。

#命題を統一するのは、不飽和な概念語ではない。

 例えば、「このフクロウは飛ぶ」は、単称名辞「このフクロウ」と「は飛ぶ」という述語からなるとしよう。この場合、フレーゲならば、述語は不飽和であり、それが単称名辞で補われることによって、主張文となり、統一化された命題になるというでしょう。しかし、もしこの説明が正しければ、次の例を説明出来るでしょうか。

 「フクロウはいつ飛ぶのですか」という問いに「フクロウは、夕方に飛ぶ」と答えたとしましょう。上の説明が正しければ、「フクロウは飛ぶ」は統一化された命題です。

「フクロウは夕方に飛ぶ」では統一化された命題に「夕方に」という表現が付加されています。この新要素が付加された命題もまた統一化されています。なぜなら、これは「夕方に」が付加される前の文とは異なる真理条件を持つからです。では、古い命題とこの新要素を統一して新しい命題にするのは何でしょうか。それは「は飛ぶ」という述語ではありません。「は飛ぶ」という述語の不飽和部分はすでに古い命題構成するときに使用されているからです。つまり、新しいこの命題は、不飽和概念語「飛ぶ」によって統一化されていないのです。

 ただし次のように考えることは可能です。もし「フクロウは飛ぶ」に「夕方に」が加わって新命題を作るとき、旧命題は一度解体して、<フクロウ、飛ぶ>という二つの表現に分解され、それに新しい表現を加えて、<フクロウ、飛ぶ、夕方>という3つの要素から改めて命題を作るのであり、そのとき述語は、「()は、()に、飛ぶ」という不飽和な二項関数に変化している、と考えることができます。それならば、新しい命題の統一化を「飛ぶ」という不飽和な概念語で説明出来るでしょう。もし、「()はとぶ」出会った述語が、「()は、()に飛ぶ」という新しい述語に変化するのだとしたら、この変化は、「フクロウはいつ飛ぶのですか」という問いにおいてすでにこの変化は生じています。この新しい問いは、新しい述語を使用しているのです。

 しかしこのように考える時、「飛ぶ」を含む述語がいくつ空所を持つかは、予め決まっていないことになります。例えば、「フクロウは夕方に、どこで飛ぶのですか」という新しい問いを立て、それに「フクロウは夕方に、森で飛ぶ」答えるときには、「飛ぶ」は、「()は、()に()で飛ぶ」という不飽和な三項関数だということになります。私達は、このようにして命題に次々に新しい要素を加え続けることができ、述語の「空所」を増やし続けることができることになります。

 このような事例を考える時、「飛ぶ」という述語がさまざまに変化すると考えるのではなく、<問いにおいて、新しい空所が作られ、それを埋める返答が、命題としての統一性を持つことになる>と説明するほうが、簡潔で説得力があるのではないでしょうか。