71 ブランダム=ヘーゲルとフレーゲ (20220322)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

(体調を崩してしまい更新が遅れてしまいました。今は元気です。)

ブランダムは、フレーゲが論文「思想」で「事実は真なる思想である」と述べたことを高く評価します。フレーゲは、ここで確かに、事実を思想として捉えています。しかしその後フレーゲは、事実と思想の同質性を追求していません。そのことをブランダムは批判します。これに対して、ブランダムは、事実と思想の同質性を追求します。

 ブランダムは、フレーゲのこのSinnとBedeutungの区別を、ヘーゲルの<物が意識にとってあるあり方>と<物がそれ自体であるあり方>の区別に対応させて理解します。ブランダムは、Sinn(意義)とBedeutung(指示対象)の同質性を主張しますが、その同質性とは、それらが共に概念的であるということです。つまり、Bedeutungが概念的であるとは、物がそれ自体であるあり方が概念的であること、つまりそれが他のあり方と両立不可能性および論理的帰結の関係にあるということです。Sinn が概念的であるとは、物が意識にとってあるあり方が、同じような意味で概念的であるということです(ブランダムは、フレーゲのSinnとBedeutungの解釈について、『信頼の精神』の第12章で詳しく説明しています)。

ヘーゲルは『精神現象学』の「緒論」で、知の吟味のプロセスを説明する箇所で、対象についての知が変化すれば、対象そのものも変化すると論じています。ブランダムもまた、これを継承して、物が意識にとってあるあり方が、変化すれば、物がそれ自体であるあり方も変化すると考えますが、彼はこのことを、おそらくこの二つが相互的な意味依存の関係にあるということから説明するのです。フレーゲの用語を使うならば、Sinnが変化すれば、Bedeutungが変化するということになります。ブランダムは、SinnとBedeutungについて、またこれらの関係について全体論的に考えるのに対して、フレーゲと新フレーゲ主義が原子論的に捉えている点を批判します(Robert Brandom, A Spirit of Trust, Harvard UP.,  p.426)。

ブランダムのヘーゲル解釈については、私はまだ勉強不足なのですが、しかし、フレーゲが「事実は真なる思想である」と言ったことを引き継いで、ブランダムが、事実と思想の同質性を追求するとき、事実を客観的に不動のものとしてではなく、思想が変化すればそれに応じて変化するものとして理解していることが解ります。つまり、ブランダムの概念実在論は、クワインが想定していたような事実についての科学理論の変更可能性を想定しているのです。その限りで、概念実在論は、事実を問答関数として理解することと両立可能であると考えます。