72 仕切り直し:表象の二つの性格 (20220530)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

(しばらく時間が空いてしまったので、最初の問題意識に戻って出直したいとおもいます。このカテゴリーのこれまでの内容については、カテゴリーの冒頭の説明文をご覧ください。)

認識がどのように行われているのかを明らかにするには、表象、知覚、意識などについて、これらの語が何を意味するのか、そしてこれらの語が意味するものがどのようにして生じるのか、を明らかにする必要があります。勿論これらは難問ですが、それができなければ、認識論はほとんど不可能です。

まず「表象」の解明から始めます。ドレツキによれは、「表象する」とは次のようなことです。

「あるシステムSが性質Fを表象するのは、Sがある特定の対象領域のFを表示する(Fについての情報を与える)機能を持つとき、そしてその時のみである。Sは(その機能を果たすときには)、Fのそれぞれ異なる確定した値f1, f2、…fn に対応して、それぞれ異なる状態s1, s2,…snを占めることによって、その機能を果たす。」(Fred Dretske, Naturalizing the Mind, MIT Press, 1995. ドレツキ著『心を自然化する』鈴木貴之訳、勁草書房、2007年、p.2)

「表象(representation)」は、代理、代表などの意味をもつ言葉なので、representationの原義は、このようなものだと言えそうです。表象のこの性格を「表象の代理表示」と呼ぶことにします。

 他方で、日本語の「表象」には、この意味とは別に、像、イメージ、という意味もあります。表象の「代理表示」という性格は、上述の仕方で明確に説明できますが、「像、イメージ」という性格を明確に説明するには、どうしたらよいでしょうか。とりあえず、イメージは、二次元あるいは三次元の空間的広がりと空間内の位置、静止あるいは変化という時間的拡がりと時間内の位置をもつものだといえます。ただし、二次元平面をイメージするには、その平面を一定の距離や位置のところに想像したり知覚したりしなければならないので、その場合にも暗黙的には三次元が必要です。静止した像を想像したり知覚したりするには、一定の時間の中で変化しない状態を想像したり知覚したりしなければならないので、暗黙的には時間経過が必要です。

 表象のイメージという性格は、表象のもう一つの性格、代理表示という表象の性格から生じると考えられます。なぜなら、もともとの世界が4次元であるとき、それを代理表示する表象も4次元の拡がりを持つことになるからです。ただし、世界の表象は、世界全体を表象することは出来ないので、世界のある視点からのみた、世界の断片の表象になります。つまり、この断片は、4次元時空の時間断片である三次元立体になるかもしれません。三次元立体の二次元断片である二次元平面になるかもしれません。あるいは、二次元平面で時間次元を持つ動く映像になるかもしれません。イメージは、世界をある視点、ある時間、ある次元で切り取った、世界の断片(あるいは世界の断片のイメージ)になります。イメージは、空間的な広がりと位置、時間的な広がりと位置をもちます。

 イメージは、4次元世界を代理表示することによって成立するのだと考えられますが、世界の代理表示のイメージが、間違っているときには、その表象はどのような事実も代理表示していないということがありえます。さらには、虚構のように、最初から、事実を表示しないイメージをつくることも可能になります。ただし、動物の進化史における最初のイメージの登場は、世界の代理表示だろうとおもわれます(錯覚については別途論じます)。

 知覚とイメージの関係について言えば、すべての知覚は何らかのイメージですが、すべてのイメージが知覚(知覚像)であるのではありません。では、感覚とイメージ関係についても同様です。感覚もまた空間的な広がりと位置、時間的な広がりと位置をもつので、すべての感覚は何らかのイメージだといえますが、しかしすべてのイメージが感覚であるのではありません。つまり、知覚も感覚もイメージです。また知覚も感覚も何かの代理表示だと言えそうです。したがって、知覚も感覚も表象だと言えそうです。

 ちなみに、ドレツキは、表象について、代理表示の性格だけをのべ、イメージついては述べません。したがって、概念もまた表象に含めることになります。なぜなら、概念もまた「代理表示」という性格を持つからです。ドレツキは、表象を「感覚的表象」と「概念的表象」に分けています(参照、前掲訳12)。ドレツキに限らず「意識の表象理論」という立場では一般的に、概念を表象に含めて考えることになるのかもしれません(この点、私にはまだ不確かです)。これに対して、私は、「表象」を代理表示とイメージという二つの性格を持つものとして考えて、「表象」と「概念」を区別して使用したいと思います(この方針で重大な問題が生じれば、その時に考え直したいと思います)。

 「概念」は、空間的時間的な広がりと位置を持ちません。しかし、上述の箇所では、代理表示という性格から、イメージという性格が生じると説明しました。それならば、概念についても、代理表示という性格から、イメージという性格が生じることになりますが、しかし概念はこのイメージという性格を持ちません。この混乱を避けるには、表象がもつ代理表示という性格と概念が持つ代理表示という性格に違いに注目するひつようがあります。

 この違いについて、次に考えたいと思います。