77 オペラント行動における学習と探索 (20220609)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

スキナー箱のネズミは、ブザーが鳴ったあと偶然にレバーを押した後に餌が出てくることを何度が経験することによって、ブザーが鳴ったあとにレバーを押すことによって餌を手に入れることを学習します。この学習は、反復によって強化されます。これがオペラント行動の代表例です。ところで、ブザーが鳴ったあと偶然にレバーを押せば、餌が出てくることを何度が経験した後で、ネズミが、ブザーが鳴った後でレバーを押したとき、それは「餌を手に入れるためであった」と言えるようにも思われますが、実際にネズミが「餌を手に入れよう」と思うのかどうかよくわかりません(ネズミは言語を持ちませんから、言語なしにそのように思うことは、おそらく不可能でしょう)。ただそう思っているのように人間に見えるだけです。もっと詳しく言えば次のように見えるのです。

<ネズミは、餌を手に入れたいと思っており、「どうすれば、餌が手に入るだろう」と思っており、それゆえに、ブザーがなったとき、前にそうだったようにレバーを押せば、餌が手に入るかもしれない、とおもって、レバーを押した>

しかし、もしネズミが実際にこのように考えて、レバーを押したのだとすると、それはオペラント行動ではありません。なぜなら、この場合のレバーを押す行為は、推論によって行われているからです。

 オペラント行動は、探索に見える行動(見かけ上の探索行動)を行っているだけです。しかし、走性や反射が見かけ上の探索行動に見えるのとはことなり、それらよりも一層本当の探索行動に近づいているように見えます。走性や反射との大きな違いは、その行動が学習によって成立することです。オペラント行動を学習するその学習過程が、探索に見えるのです。

 オペラント行動は、行為を学習しているように見える「見かけ上の学習」である、ということは出来ません。なぜなら、オペラント行動は、遺伝的に決定した行動ではないからです。ところで、オペラント行動が「見かけ上の学習」でなく、本当の学習であるとすると、それはまた「見かけ上の探索」でなく、本当の探索であると言えるのではないでしょうか。

本当の探索行動であるいうことを妨げるのは、そこに推論が行われていないことでした。オペラント行動と推論による探索の間には、感覚刺激や知覚表象や欲求の意識の有/無の違い、言語を持つ/持たないの違いあります。

 次に、感覚刺激、知覚表象、欲求、などについての意識が、どのように発生するのかを考えたいと思います。