39 戦争の時こそ理性の公的使用を! (20220621) 

[カテゴリー:日々是哲学]

カントは『啓蒙とは何か』で、「理性」の使用を「公的な使用」と「私的な使用」に分けています。公職に就くものが職務上理性を使用すること、聖職者が説教すること、将校が上官の命令に従って行為すること、カントによれば、これらは理性の「私的な使用」です。これに対して、公衆を前にしての学者の理性使用は「公的な使用」です。そして、教区の聖職者が、学者として信条書の欠点についての吟味を公衆に伝えることや、上官の命令を受けた将校が学者として軍務における欠陥をしてきし、その指摘を公衆の判定に供することもまた、理性の「公的使用」になります。つまり、「一定の共同体において妥当する真理なり規範なりを前提している場合には、理性の「私的使用」となり、聖職者や将校であっても、共同体に受け入れられている真理や規範の妥当性を相対化して問い吟味する場合には、理性の「公的使用」となります。

戦争を防ぐために何より必要なのは、理性のこのような「公的使用」ではないでしょうか。また戦争が始まって、国民がナショナリズムに熱狂しているときに、何より必要なものも理性の「公的使用」ではないでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。