87 疑問文を使わない問答  (20230317)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

まず、下の図 (BSD46) を説明したいと思います。(いきなりこの図の説明を読んでも、理解するのが難しいかもしれません。ゆっくりと読んでみてください。)

ブランダムは、この図式で、論理的語彙を使用しない推論を考えています。BSDのなかでは一般に、Vは「語彙」、Pは「実践」(実践ないしその能力」を表します。PV-suffは、の出発点のPが、矢印の先のVを運用するのに十分であること(being sufficient to deploy)を示します。PV-necは、矢印元のPが矢印の先のVを運用するのに必要であることを示します。上の図式は、「もし…ならば」という条件文を作る語彙Vconditionalsと、条件法を含まない語彙V1の関係を表現しています。条件法を含まない語彙でもそれが使用される時には、推論を行っています。その推論を行う実践がPinferingであり、それは、V1を運用するのに必要であるので、PV-necの矢印がPinferingからV1へ向かっています。

PP-suffは、矢印元の基礎的Pが矢印先の複雑なPをアルゴリズムに従って作り上げるのに十分であるということを示しています。PADPからV1への矢印がP-suffとなっているのは、ADP (an aoutonomous discursive practice)(自律的言説実践)(これは「他の言語ゲームをすることなくその言語ゲームをすることができるような言説実践」(BSD41)です)が、条件文を含まない語彙V1を運用するのに十分であるということを意味しています。

PAlgEl は、「Pをアルゴリズムに従って作り上げること」(Pをアルゴリズム的に精緻化すること)を意味します。上の図のPAlgEl3:PP-suffは、「もし…ならば」の語彙なしに推論する実践Pinferingから、アルゴリズムによって、「もし…ならば」を含む語彙Vconditionalsを運用する実践Pconditionalsを、構成することができることを示しています。つまり、論理的な語彙を使用しなくても、私たちは推論しているということです。そしてそのような推論を、ブランダムは(「形式的推論」と対比して)「実質的推論」(material inference)と呼びます。ここで重要なのは、Vconditionalsを用いて、Pinferingを特定(specify)ないしコード化(codify)できるといことです。つまり、論理的語彙を使用せずに実質的に行っている推論実践を、論理的語彙をもちいて記述できます。この関係は、VconditionalsからPinferingへの矢印VP-suffで表示されています。このとき、Vconditionalsは、V1の中で実質的に暗黙的に行われている推論を明示化(explicate)するという関係にあります。この明示化の関係は、実践を解する間接的な関係であり、Res:VV(resultantな(結果として成立する)VとVの関係)であり、「語用論的に媒介された意味論的関係」です。このような「語用論的に媒介された意味論的関係」Res:VVは、これ以外にもあるのですが、このようなRes:VVをブランダムは「LX関係」と呼びます。Lは、elaborationの関係を表現し、Xはexplicationの関係を表します。この両方をともなうとき、Res:VVを「LX関係」とよび、それを成立させるVconditionalsのような語彙「LX語彙」と呼びます。

ブランダムは、条件法の語彙以外のLX語彙として、「指示詞」の語彙、「様相」の語彙、「規範」の語彙を挙げています。彼によれば、「指示詞」の語彙は照応の語彙に対してLXの関係にあり、「様相」の語彙は「経験的語彙」に対してLXの関係にあり、「規範」の語彙も「経験的語彙」に対してLXの関係にあります。

私がここで指摘したいのは、疑問の語彙もまた「LX語彙」である、ということです。

ブランダムは疑問の語彙については、何も述べていません。また問答関係についても全く言及しません。ブランダムは、よく「理由を与え求めるゲーム」(the game of giving and asking for reasons)について言及するのですが、そのとき彼の念頭にあるのは、問いと答えではなく、ある主張の理由を与える<上流推論>と、その主張を前提として他の命題に理由を与える<下流推論>だと思われます。

しかし、私たちは、ブランダムの語用論に媒介された意味論を、疑問の語彙に適用できると思います。

私が考える「疑問の語彙」とは、「疑問詞」(「どれ」「なに」「なぜ」「どのように」「いつ」「どこ」「だれ」など)と決定疑問文です(ブランダムのいう「語彙」は語の集合を意味するのではなく、「発話」(locution)の集合ですので、決定疑問文(ないしその文形)もまた「疑問の語彙」に含まれると思います)。

上のPinfering が条件法を用いないで推論を行う実践Pを意味していましたが、それと同様に、Pquestioning and answering で、疑問の語彙をもちいないで問答を行う実践Pを意味したいとおもいます。そのような実践とは、つぎのような発話です。

 「これは」「それはリンゴです」

  「リンゴは」「それです」

  「リンゴの色は」「それは赤色です」

このような問答が日常ではよく行われています。多くの場合、これらの問いは、次のような疑問文の省略形だと説明されるでしょう。

  「これは何ですか」「それはリンゴです」

  「リンゴはどれですか」「それがリンゴです」

  「リンゴの色は何ですか」「それは赤色です」

私は、このような疑問文とそれへの答えという問答においては、「疑問の語彙」が用いられていますが、そのような語彙が導入される前に、上のような仕方で問答が成立していただろうと考えます。いったん疑問の語彙の使用を学習したならば、それを使用しない問答は、疑問文による問答の省略形だとみなすことができるでしょうが、しかしそのような語彙の導入前に、上記のような暗黙的な問答が成立しているだろうと考えます。

では、ここから、概念実在論について何が言えるでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。