[カテゴリー:問答の観点からの認識]
今のところ次のように考えています。
理論的問答の答え:主張型発話:真理値をもつ。
実践的問答の答え:行為指示型と行為拘束型:適切性(適/不適の区別や程度)をもつ。
宣言的問答の答え:宣言型(行為宣言型、主張宣言型、定義型(命名を含む)、表現型):適切性をもつ。
今回説明したいのは、実践的問答の答えの適切性と宣言的問答の答えの適切性の違いです。
以前(107回)に次のように書きました。
「主張型以外の発話が「適切である」とは、その発話が「より上位の目的の実現にとって役立つ」ということだろうと思います。その「より上位の目的」とは、答える者にとってのより上位の目的でしょうか、それとも問うた者にとってのより上位の目的でしょうか。
その発話が「適切である」とは、問いに対する答えとして「適切である」ということだとすると、それは問うた者についてのより上位の目的の実現に役立つということでしょう。」
そこでは、主張型以外の発話の「適切性」を、「より上位の問いに答えるのに役立つこと」あるいは「より上位の目的の実現にとって役立つこと」と考えましたが、これを次のように修正したいと思います。宣言的問答の答えの適切性は、この通りだと考えますが、実践的問答の答えの適切性は、「実践的問いの目的の実現そのものに役立つこと」だと考えます。実践的問いは、「ある意図を実現するにはどうすればよいか」という形式をとります。その意図の実現に役立つ答えが、適切な答えであり、役立たない答えが不適切な答えです。
適切性についてこのような違いが生じる理由は、実践的問答の答えは統制規則であり、宣言的問答の答えは構成規則であるという違いにあります。
#構成規則と統制規則の区別
この区別は、サールの「構成規則」と「統制規則」の区別や、カントの「構成原理」と「統制原理」の区別に由来するものです。
例えば、自然法則は、自然を構成する構成規則です。ゲームの規則は、ゲームの構成規則です。憲法は、国家体制の構成規則です。自然の構成規則を破ることはできないし、変更することもできませんが、人為的社会的構成規則は、破ることも変更することも可能です。
ところで、組織の構成規則は破るべきではないものでしょうか、つまり規範性をもつのでしょうか。もしその組織を維持しようとするのならば、組織の構成規則を破るべきではなく、それに従うことは義務となり、それは統制規則となります。もしその組織を維持することを目的としないのであれば、その組織の構成規則を守ることは義務ではありません。
この場合、統制規則とは、構成規則の一部になります。では、<統制規則であるが、何かの構成規則ではないもの>はあるのでしょうか。おそらくすべての規範的規則は、何らかのものの構成規則であると考えます。なぜなら非常に緩い規範的規則「人に会ったら挨拶しましょう」というような規範であったとしても、それが常に守られたら実現するであろう社会の構成原理となるからです。
(構成規則と統制規則の関係をこのように考えることは、従来の理解と異なる新しい試みと思いますので、注意してください。)
#構成規則の適切性
構成規則の適切性とは、構成規則の設定が、あるいはその構成規則が、より上位の目的にとって有用であるということです。構成規則の目的とは、何かを構成することです。より上位の目的とは、構成規則が構成するもののより上位の目的です。
#構成規則と統制規則の区別と問答
二つの規則の区別と、3種類の問いの区別は、次のように関係します。
・理論的問い「自然はどうなっているのか」の答えは、構成規則です。
・実践的問い「オセロのゲームに勝つには、どうすればよいのか」の答えは、統制規則です。
・宣言的問い「オセロのゲームはどのようなものか」の答えは、オセロゲームの規則であり、構成規則です。
・実践的問い「オセロのゲームに勝つには、どうすればよいのか」の答えは、統制規則です。その答えが、オセロのゲームを勝つために役立つのならば、それは適切です。実践的問いは、実現したい意図を前提としますが、その意図の実現に成功するならば、あるいは役立つならば、答えは適切です。
・宣言的問い「オセロのゲームはどのようなものか」の答え(オセロゲームの規則の設定)に真偽はありませんが、適切性はあります。それが適切であるために満たすべき諸条件として、例えば次のような諸条件を挙げることができるかもしれません。
勝ち負けが明確でなければならない。
ゲーム規則はあまり複雑すぎない方がよい。
ゲームの規則は単純であるほうがよい。
ゲームは簡単すぎていけない、なぜなら楽しくないから。
ゲームは難しすぎてもいけない、なぜなら楽しくないから。
ゲームの勝負に時間がかかりすぎてもいけない。
これらの諸条件を満たすゲームの規則(構成規則)が適切です。その規則は、楽しいゲームを作るという目的の実現に役立つからです。構成規則は、それが構成するものが、より上位の目的の実現に役立つならば、適切です。つまり、宣言的問いの答えは、より上位の目的の実現に役立つとき、適切です。
次に宣言型発話の4種類の下位区分のそれぞれの適切性についての説明します。
*行為宣言の適切性
例えば、「君は馘だ」と言う宣言が適切であるとは、相手を馘にすることが、会社にとって有用であるということでしょう。つまり、その宣言はより上位の目的(会社の存続や利益の獲得)の実現に役立つということです。
*主張宣言の適切性
例えば、「アウト」という宣言が適切であるとは、実際にそれがアウトであることです。「アウト」の宣言が適切であるとき、それが構成するゲームのより上位の目的の実現に役立ちます。ゲームのより上位の目的とは、ゲームによって参加者が楽しむことや、観客が楽しむことです。審判が間違っていれば、私たちはそのゲームを楽しめません。
*定義宣言の適切性
例えば、「水をHOと定義する」という宣言が適切であるとは、その行為がより上位の目的(その対象を他の物から区別すること)に役立つということでしょう。もし定義の目的が他にあれば、その目的の実現に役立つということでしょう。
*表現宣言の適切性
「合格おめでとう」という発話は、相手が合格したという事実に対する話し手の態度を構成します。聞き手の出来事や状態に対する話し手のこの態度の構成は、聞き手と話し手の関係に関するより上位の目的の実現に役立つとき適切であり、その目的の実現を妨げたり、役立たなかったりするとき、不適切です。例えば、「不合格おめでとう」と言う発話は、相手と喧嘩しようと思っているのでないならば、不適切です。
前回の末尾で、このあと「真理の定義依拠説」への予想される反論を論じると予告しましたが、その前に、真理の定義依拠説から、推論の正当化について考えたいと思います。