29 「構成主義的情動理論」の紹介 (20210124)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

(見出しを「構成的情動理論」から「構成主義的情動理論」に修正しました。20210126) 

人間にとっての初期の問いは、個体にとっても、ヒトという種にとっても、知覚イメージに関わるものになるでしょう。ですから、知覚イメージや意識がどのようにして生じるのかを明らかにしたいのですが、情動についての面白い議論を見つけましたので、それを紹介し、そこで意識の成立についてどう論じられるかを、確認しておきたいとおもいます。

 ダマシオの情動論に納得できずに困っていたのですが、それを批判する情動論を見つけました。

Lisa Feldman Barrett、How Emotions Are Made、2017(バレット『情動はこうしてつくられる』高橋洋訳、紀伊国屋書店、2019)です。バレットは、「情動は、生まれつき組み込まれている身体の内部で起こる明確に識別可能な現象なのだ」という「古典的情動理論」を批判します(同訳、8)。ダマシオの情動論も、この「古典的情動論」に含まれると思います。二か所(同訳、138,268)で、ダマシオについて批判的に言及しています。

 これに対してバレットは、「構成主義的情動理論」(前掲訳63)を次のように定義します。

「目覚めているあいだはつねに、脳は、概念として組織化された過去の経験を用いて行動を導き、感覚刺激に意味を付与する。関連する概念が情動概念である場合、脳は情動のインスタンスを生成する」(前掲訳63)

構成主義的情動理論の二つの中心的な考えは、次の通りです。

①怒りや嫌悪などの「情動カテゴリー」には、身体や脳における指標は存在しない。

「たとえば怒りの或るインタスタンスは、他のインスタンスと同じように見えたり感じられたりするとは限らず、また同一のニューロン群によって引きおこされるとも限らない。」66

 バレットは、独自の情動経験を「情動のインスタンス」と呼び、「情動インスタンスを知覚する」という言い方をする(前掲訳77)これに対して、一般的な恐れ、怒り、幸福、悲しみなどを「情動カテゴリー」と呼ぶ。

②「人間が経験し知覚する情動は、遺伝子によって必然的に決められているわけではない」必然的なのは、「人間は、世界に内在する身体に起源を持つ感覚入力に意味を見出すための、ある種の概念[情動概念]を持つ」67

「「怒り」や「嫌悪」などの個々の概念は、遺伝的に決まっているわけではない。身に沁みついた情動概念は、まさにその概念が有意味かつ有用であるような特定の社会的な文脈のもとでそだったがゆえに組み込まれているのであり、脳は、本人の気づかぬうちに概念を適用し、経験を構築するのだ。」67

「心拍の変化は必然的だが、その情動的な意味は必然的なものではない。文化が異なれば、おなじ感覚入力から異なる種類の意味が生成されうる。」67

「構成主義的情動論」は、次の三つの構成主義の流派をすべて取り入れている。「社会構成主義」からは文化と概念の重要性を、「心理構成主義」からは情動が脳や身体の内部の中核システムによって構築されるとする考えを、そして「神経構成主義」からは経験によって脳が配線されるという考えを取り入れている(前掲訳70)

 では、このように情動が、概念で構成されていると考える時、ペットの犬は情動を持たないことになるでしょうか。それを次に確認したいとおもいます。

なおバレットのTEDでの大変わかりやすい講演が以下にありますのでご覧ください。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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