31 内受容と内因性ネットワークから気分が生まれる (20210128)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

気分はどのようにして生じるのだろうか? バレットによれば、気分は内受容に由来する。内受容(interoception、「内受容感覚」と訳されることもある)とは、「体内の器官や組織、血中ホルモン、免疫系から発せられるあらゆる感覚情報の脳による表象」(前掲訳104)である。

interoception は、Charles Sherrington(英、生理学者)が作った言葉と言われている。彼は、感覚を3つに分類したようです。詳しく説明すると次のようになるようです。

①interoception (内受容感覚)

これは、「心房、頸動脈、大動脈の伸長受容体、骨格筋の代謝受容体によって生じる感覚で、内臓や血管の状態の知覚に関わっている。心拍や血圧、呼吸などの変化の受容にはこの感覚が主にかかわっており、感情の生起にともなって観察される感情反応と呼ばれる身体反応の多くは、内受容感覚器が検出できる変化をもたらすものである。」(寺澤悠理「感情認識と内受容感覚――感情関連疾患と内受容感覚の下位概念について――」(www.jstage.jst.go.jp/article/jjbf/44/2/44_97/_pdf/-char/ja))

②exteroception (外受容感覚)

これは、「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」からなる。(寺澤悠理「感情認識と内受容感覚――感情関連疾患と内受容感覚の下位概念について――」(www.jstage.jst.go.jp/article/jjbf/44/2/44_97/_pdf/-char/ja))

③proprioception (固有感覚)

これは、「四肢の位置や動き、関節の曲り具合、筋肉の力の入れ具合などを感知するものです。「proprioception」は、筋・腱・関節など自分の身体内部の状態を知るための感覚なので、「自己受容感覚」とも訳されています」(http://www5c.biglobe.ne.jp/~obara/dokusho/dokusho6.html

これは「外受容感覚」の五感に対して、「シックスセンス」と呼ばれることもあるようです。

さてバレットによれば、内受容から気分は生じるのは、「内因性脳活動」による。ところで、彼女によれば、脳は、外部からの刺激を待って反応するようなものではない。

「刺激と反応による見方は、わかりやすいが誤っている。巨大なネットワークに結びつけられた脳の860億のニューロンは、起動されるのを静かに待ってなどいない。十分な酸素と栄養素が与えられれば、「内因性脳活動」と呼ばれる、興奮の巨大な連鎖は誕生してから死ぬまで続く。」106

「内因性脳活動は、……「内因性ネットワーク」と呼ばれる、絶えずともに発火するニューロンの集合によって組織化されている。」(前掲訳107)

「内因性ネットワークは、最近の10年間における神経科学の、もっとも重要な発見の一つとみなされている。」(前掲訳107)

内因性ネットワークにとっては、内受容(内受容感覚)もまた、外界についての感覚と同様に脳にとっての外部からの刺激であるだろう。そして、内受容から内因性ネットワークによって、気分が生じるのだとすると、外受容感覚と固有感覚から内因性ネットワークよって、知覚表象が生じるといえかもしれない。

ところで、この内因性ネットワークは何をしているのだろうか。バレットによれば、これは内部からの刺激外部からの刺激をうけて常に様々な予測をしている。

外受容と固有感覚に関しては「多数のニューロンの会話は、その人が経験するはずの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に関するあらゆる情報の断片と、とるはずのないあらゆる行動を予測しようとする。こうした予測は、外界で生じている事象に関する、また、無事に生きていくためにはそれにどう対処すべきかに関する、脳の最善の推測なのである。」108

「内受容は、感情を経験するためではなく、身体予算を管理するために進化したのであり、体温、体内のグルコースレベル、損傷をうけた組織の有無、心拍、筋肉の収縮などの身体の状況を追跡できるよう脳を支援している。快や不快、あるいは興奮や落ち着きの感覚は、身体予算をめぐる状況の簡素な要約とみなすことができる。「貯金は足りているだろうか?」「貯金を引き出しすぎだろうか?」「預金が必要だろうか?必要ならいますぐにか?」などのように。」128

内因性ネットワークにおいて、気分を含めてあらゆる意識が発生しているだろう。バレットは、この内因性ネットワークは、身体の内部や外部からの刺激があろうとなかろうと、人が生きているか限り、絶えず膨大な予測をしていると考えている。彼女はなぜ、そう考えるのだろうか。それをつぎにみよう。

 内因性ネットワークが、常に膨大な予測をしていると言えるならば、常に膨大な探索をしている(人間の場合には、問いを立てている)ということになるのではないだろうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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