40 志向性としての問い  (20210401)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

問いは、次に見るように志向性の一種だと言えるでしょう。

問いは、何かに<ついて>の問い、例えば、事故の原因に<ついて>の問いであるから志向性と言えそうです。これは、次のように他の志向性と同じような条件を備えています。

問いの志向状態(S)と志向内容(r)は、次のようになります。

    問うこと(事故の原因)

問うことは、質問発話の「誠実性条件」になるでしょう。

問いの充足条件については、二種類考えられます。一つは、主張と類比的に考えることです。主張pの充足条件は、事実<P>が成り立っていることです。問いの充足条件は、問いの前提が、成り立っていることです。「フランス王は禿げていますか?」といは、「フランス王が存在すること」を前提しており、問いの前提が成り立っているとは、フランス王が存在することです。もう一つは、命令と類比的に次のように考えることです。命令の充足条件は、命令が実行されることです。これに倣うならば、問いの充足条件は、問いの答えが与えられることです。この二種類の充足条件を合わせたものが、問いの充足条件になります。

ところで、問いの答えとなるのは、知覚、記憶、信念、行為内意図、先行意図、願望などの志向性です。これらは、「適合の方向」をもち、適合にコミットしています。問うことは、コミットメントを求めることです。問いは、答えがどのような「適合の方向」をもつか、またどのような志向状態をとるか、をすでに決定しています。それは、質問発話が、返答の発語内行為をすでに決定しているのと同様です。発話の意味に関しても、発話行為に関しても、「問いは答えの半製品である」のです(これについては『問答の言語哲学』で説明しました)が、志向性においても「問いは答えの半製品である」と言えます。

では、想像は、問いとどうかかわるのでしょうか?

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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