[カテゴリー:問答の観点からの認識]
ここから知覚と知覚報告の考察を始めたいとおもいます。
ここでは、知覚に依拠した報告が、対象についての報告である場合と、知覚についての報告である場合に区別されることを確認したいと思います。
#<対象の知覚的性質についての報告>、とその問答
①「その花は何色ですか?」「この花は黄色です」
ふつうは、この場合の答えは、知覚ではなく知覚報告です。ここで「知覚報告」というのは、「知覚に依拠した報告」と言う意味です。この問答は、知覚そのものについての問答ではなく、<知覚の対象についての問答>です。
対象について、五感によって与えられる知覚的性質(色、形、大きさ、距離、音色、音量、音高、におい、味、手触り、熱さ、冷たさ、など)に関して問うことができます。
その問いの答えは、<対象の知覚的性質を記述するもの>になります。これは<知覚に依拠する報告>ですが、<知覚についての報告>ではなく、<対象の知覚的性質についての報告>です。
(ただし、この答えの文「この花は黄色です」は、知覚報告になるとはかぎりません。例えば、黄色の花ばかりはいった箱を受け取った人が、そこにやって来た別の人から同じ問いを問われて、「この花は黄色です」と答える時、この答えは、知覚方向ではなく、伝聞の報告です。)
これに対して、<知覚についての報告>は、次のようなものです。
#<知覚についての報告>、とその問答
②「この花は何色に見えますか?」「黄色に見えます」
この問いは、対象の(知覚的)性質についての問うているのではなく、対象が目にどう見るか、<対象の感覚器官にとっての現われ>について問うています。この花が黄色に見えるとしても、実際に黄色であるかどうかは問われていません。この答えは、<知覚についての報告>です。
(以下は、少し煩雑になるかもしれない補足です。
次のように①の問いに②の答えで答えることがあるかもしれない。
④「この花は何色ですか?」「黄色に見えます」
この場合、この答えは、「この花の色はおそらく黄色だろうが、しかし黄色に見えるだけかもしれない」ということを意味しているだろう。
また、②の問いに③の答えで答えることがあるかもしれない。
⑤「この花は何色に見えますか?」「この花は黄色です」
この場合、この答えは「この花は黄色に見えるし、また実際にも黄色である」ということを意味しているだろう。)
このように、<対象の知覚的性質についての報告>と<知覚についての報告>の区別は、発話だけを見ても多義的であいまいですが、相関質問との関係において明確になります。
次に悪名高い「錯覚論証」を考察したいとおもいます。