9 日本における戦後自我論の変化:冷戦中と冷戦後

               もうすぐ梅雨明けです。しかしその前に台風が来そうです。
 
9 日本における戦後自我論の変化:冷戦中と冷戦後 (20140707)
 
明治以後の日本社会にとって、最も喫緊の問題は、
  「西洋社会にどのように対応するか」
であった。それに対する答えとして提出されたものは、大きく次の3つに分けられる。
  1、近代主義:西洋の社会制度や学問や文化を取り入れること
  2、日本主義:
  3、マルクス主義
明治以後の日本の人文社会科学は、15年戦争の前も後もこの3つの立場を追求してきたといえるのではないだろうか。(社会学や政治学での日本研究では、15年戦争前と後との連続性に注目する研究が多くなされているが、その傾向とも一致するのかもしれない。)京都学派は、西洋哲学を研究しつつも、2を再構築しようとしたといえるだろう。また1への批判は、資本主義への批判でもあり、それに対する社会構想として、ファシズムと共産主義があったと見ることもできるだろう。
 自我論に関しても、同様の3つの立場が中心になってきたと思われる。
  1,近代的主体
  2,伝統的日本的自我論
  3,マルクス主義的主体
戦後思想は、主体性論争に始まるが、そこでは戦後復興を担うべき主体のあり方について論争が行われた。現実における日本人の自我の有り様は、伝統的な日本的なものであり、それは批判的な仕方で『菊と刀』『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』などに描かれた。それに対して実現するべき自我のあり様として、「近代的主体」(大塚久雄、丸山正男)や革命の担い手となるマルクス主義的な「主体性」が論じられた。
 そして、このような戦前戦後の議論の枠組みは、1989年の冷戦集結、1991年のバブル崩壊、によって大きく変化した。明治以後、西洋に追いつこうとして進められてきた近代化が経済的にはバブルの時期に達成されたこと。冷戦後、マルクス主義が力を失ったこと。バブル期にもてはやさされた日本的経営が冷戦後のグローバル化時代に通用しなくなったこと、などがその原因である。バルブル後の金融問題、財政赤字問題、高齢化問題、年金問題、など日本社会の問題を解決するモデルをもはや欧米に求めることはできなくなり、「西洋社会にどう対応するか」という明治以後の喫緊の課題そのものが、重要性を失った。そのため、従来は、西洋社会や西洋の文化の研究を最重要の課題としてきた日本の人文社会科学は大きく変わり始めている。。(これについては、以前に書庫「グローバル化のゆくへ」でどうようのことを論じました。)
 このような中で自我論もまた、1990年代以後大きく変化している。1990年以後、「自分とは何か」という「自分探し」がブームとなり、多くの自我論、自己論、が出版されている。このような1990年以後の自我論にあらわれた新しい論点として目につくのは、多元主義物語論である。
 この二つの論点は、日本に登場した思想というよりも、欧米で登場し日本に輸入されたものというべきかもしれない。それにしてもなぜこの二つの論点が、冷戦後の世界や日本で重要な論点になったのだろうか。それに対する一つの解答案は次のようなものである。
 
size=”3″> 冷戦後の世界ないし日本社会にとっての喫緊の問題は何だろうか。それはおそらく、
  「私たちは、グローバル化にどう対応するべきか」
という問いであろう。この問いの「私たち」とは誰のことだろうか?
 この問いの「私たち」が日本国や日本国民であるならば、「日本は、グローバルな国際競争に勝ち抜くにはどうすべきか」という問いになり、これまでと同様に、そのためには「国民総動員が必要だ」というような回答がなされるだろう。この場合、「グローバル化」は、黒船のように外からやって来るものとして理解されている。
 この問いの「私たち」が、国家を離れた個人や、地球市民であるならば、「私たちは、グローバル化をどのような方向に進めるべきか」と問うことになるだろう。あるいは、グローバル化をグローバル資本主義と狭く取るならば、「私たち市民は、資本主義のグローバルな展開にどう対応するべきか」となるだろう。
 「私たち」の社会にとっての喫緊の問題のこのような多義性、多元性が、冷戦後の社会や「自我」の多元化の原因ないし理由であると思われる。
 ただし自我の多元化については、大衆消費社会と関係付けた説明も提案されている。次にそれを検討しよう。(物語論については、さらにその後で考察したい。)
 

 
 
 
 
 
 

8 分人主義と役割論の比較2

 
 
 

集団的自衛権を認める解釈改憲が閣議決定されてしまいました。
 
8 分人主義と役割論の比較2 

(20140630) 

 
 分人主義と役割論との比較をしようとしているのだが、ある種の困惑を感じる。それは、一方で、分人主義は、現代社会において登場しあるいは強化されている、現代に固有の、自我(主体、個人、自己)のあり方を主張しており、他方で、役割論は、時代や社会を限定せず、人間ないし人間社会に普遍的に成立している主体のあり方を主張しているのではないかという疑念である。もしそうならば、これらの前提の違いを無視して単純に比較することはできない。そこで、まずこの疑念を確かめたい。
 廣松が、『存在と意味』第二巻などで「実践的な世界」を分析するとき、それは特定の時代や社会を超えて、一般的に妥当に妥当する事柄を分析しているのだと思われる。 廣松は、『世界の共同主観的存在構造』(1972)の「II」の「一 共同主観性の存在論的基礎」の冒頭で、考察対象について次のように述べている。
 
「世界観の地平は歴史的・社会的に相対的であり、学問的な世界観といえども当代の「日常生活体験」に根ざした「民衆的先入見」(マルクス)の大枠を端的に超出することは不可能であって、結局のところ“世人の日常的な世界了解の構図”を準拠枠frame of referenceにせざるをえない。[…]われわれとしては、それ故、日常的な世界像に流目するところからは始め、そこにおける存在論以前的Vor-ontologischな了解の構えに遡って問題点を剔抉しておく必要がある。」(『世界の共同主観的存在構造』135
 
 廣松は、とりあえずは「当代」の「日常的な世界了解」を準拠枠にせざるを得ないという。つまり、1970年前後の日本社会についての“常識的な理解”を準拠枠にするということである。しかし、その考察は、「歴史的・社会的に相対的な」側面を「超出」して、時代や社会に限定されない原理的一般的な考察を目指しているのだろう。
 しかし、例えば役割理論に関して、役割は、原始共同体、古代国家、近代資本主義国家、グルーバル化する現代、のそれぞれで大きく異なるのではないか、それらの社会に共通する役割のあり方を考察をしても、それぞれの社会の本質的な特徴を捉えきれないのではないだろうか。例えば、資本主義による「物象化」についての廣松の分析は、「実践的世界」の分析に生かされていないように思われる。なぜなら、その「実践的世界」は、資本主義社会に限らない、より一般的な社会として対象になっているからである。
(もしこの指摘が正しいとすると、これは廣松哲学の重大な惜しまれる点になるだろう。それは私たちの課題かもしれない。もちろん役割理論の研究の中には、時代と社会を限定した研究、現代社会や日本社会の役割論の研究がすでにあるのかもしれない。)
 
 では、分人主義の方はどうだろうか。それは自我のあり方の現代的な特徴なのだろうか。それとも特定の時代と社会に限らない、普遍的な「自我」の理解なのだろうか。平野啓一郎はおそらく前者を考えている。彼は『私とは何か』の冒頭で次のように言う。「むしろ問題は、個人という単位の大雑把さが、現代の私たちの生活には、最早対応しきれなくなっていることである」(3)
 では、ムフの「主体位置」はどうだろうか。この概念は、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの共著『民主主義の革命』西永亮、千葉真一訳、ちくま学芸文庫(2012)(原著1985ではじめて導入されたのではないかと思われる。彼らは当時の資本主義社会の分析のためにこの概念を用いているが、それをローザ・ルクセンブルクの分析を参照しつつ導入するので、1980年代の資本主義にかぎらず、20世紀の資本主義に通用する概念として考えているのかもしれない。彼らは、おそらく時代と社会を越えて人間に普遍的に妥当する概念だとは考えていないだろう。
 
 廣松の役割理論は、普遍的な社会理論であった。それに対して分人や主体位置の概念は現代社会ないし現代資本主義社会における自我論ないし主体論として考えられていた。これを考慮した上で、アプローチの仕方を再考したい。まずは、大きな見取り図を示すことにする。
 
 
 

 

7 分人主義と役割論の比較

 

いつも通りすぎるのですが、先日はじめて中津川に立ち寄りました。
駅前の蕎麦屋さんがとても美味しかったです。
 

7 分人主義と役割論の比較(20140623)

 「分人」概念をより明確にするために、「役割論」との違いを確認したい。
 廣松渉は『存在と意味』第二巻で、「実践的世界」を扱う。廣松は、実践的関心に対して、対象は、「実在的所与」以上の「意義的価値」として現前し、主体は「能為者誰某」以上の「役柄者或者」として現存在するという。つまり、私たちが行為する時、対象は何らかの価値をもったものとして現れ、主体は何らかの役割を背負ったものとして登場する。
 彼はこれを「用在的世界の四肢構造」と呼び、つぎのように整理する。
  用在的財態の二肢性(実在的所与―意義的価値)
  人格的主体の二相性(能為者誰某―役柄者或者)
ここで「役柄的或者」と言われているものは、「役割」とほぼ同じものと考えてよいだろう。一人の人は、父親、夫、子供、会社員、お客、などの複数の役割をもつ。人格的主体の行為のほとんどは、役割行為であり、役割行為とは、他者の期待を察知し、目標を実現することであるとされる。夫々の役割行為は、他者の役割との共互構造(順次交替的、並行共業的、同時相補的)をもつ。
 廣松の役割論がユニークな点は、社会的な役割や個人の存在を前提せずに、むしろ役割行為を通して、社会な様々な役割や人格的主体が存立すること(構成されること)を示そうとする点である。(これはフォイエルバッハや、ミードや、レーヴィットの先行する仕事の影響を受けている。)
 それでは、人格は役割の束なのであろうか。廣松はそのようには考えず、「「人格的特性」は「役柄規定の束」に還元されるべくもない」(第二巻p142)と述べている。例えば野球監督という役割を持つ人々の間にも個性の差異があることを指摘して、その個性は、役割から独立して各人が持つものであるとする。したがって、その個性は「当該人物の非社会的=自然的な特性」142として思念される、という。
 個性を持つ人物主体が、ある役割を持つものとして、行為する、という二肢構造を主張するのであるから、主体は役割の束に還元されるのではなくて、役割ないし役割の束の担い手となる。
 ところで、分人主義において、友人と話している自分と家族と話している自分が別の人格であるという場合、その分人はそれぞれ異なる個性を持つ。これに対して、廣松が、野球監督も個性を持つというとき、役割と個性はそれぞれ「役柄者或者」と「能為者誰某」の二肢にふり分けられている。個性をもつ「能為者誰某」は、様々な役割の担い手であり、その担い手が様々な役割を貫いて共通している特性になるだろう。これは、分人主義において、分人が異なるごとに異なる個性を生きるということとは、全く異なる。
 廣松には、社会の多元性への指摘はみられないように思われる。むしろ次の引用に見られるように、非常に同質的な社会ないし共同体が考えられているように思われる。
「同一“共同体”に内在する諸人物の人格形成は<当在的主体>の契機に即するとき、相当に“同型的”であるといえよう」(『存在と意味』第二巻、p.180)
 社会が同質的であるから、個人がさまざまな役割を担っているとしても、それらの役割を貫いて同質的な個性を維持することができるのだろう。社会が同質的でないとき、様々な役割を貫いて、同質的な個性を維持することは困難になる。
 では、この「個性」理解の違いを除けば、役割理論と分人主義は、同じようなものになるのだろうか?
 

少し下草刈りをしましたが、まだ不十分です。書庫の方は、どのように手を付けていけばよいのか、方針も問題設定も考えあぐねています。
 
6 分人(ないし主体位置)の間の矛盾とそれへの対応 

(20140613)

 平野の「分人」とムフの「主体位置」が同じものだといえるかどうか、確信がもてないが、とりあえずほぼ同じものとして議論を進める。
 分人はそれぞれ、それが属する人間関係の中で、ある課題を共有し、その解決に取り組むだろうと思われる。そこで分人は他者と課題(問題=葛藤)を共有する。つまり、それぞれの分人自身が、何らかの問題ないし葛藤を抱えている。人が何かを意図する時、たとえば、Xを実現しようと意図するとすれば、そのとき現実にはXが実現していない(とその人が信じている)ことが前提になっている。そこに現実と意図との葛藤があると言えるし、また意図はすでに葛藤の表現であるとも言える。その問題は、職場でのルーティンワークのような問題であるかもしれないし、次の給料日までのやりくりの問題かもしれないし、参加しているNGOが長年取り組み続けている問題であるかもしれない。
 ところで、ある人が複数の分人を生きている時、その分人の間にも矛盾が生じる可能性がある。この分人間の矛盾に私たちはどう対応しているのだろうか。とりあえず、次のような対応が考えられる。
 
 (1)分人の間の矛盾を解消しようとする。このために、矛盾する一方ないし両方の分人を変えようとするだろう。
一方の分人を他方の分人と矛盾しないように変えようとすると次のようにするだろう。
 ①そこでのその分人としての活動を抑制する
 ②そこでのそれまでの活動を続けながらも、本音は別だと思う(心理的に逃避する)
 ③そこでのそれまでの活動を続けながらも、その活動に別の意味付けを与えようとする(解釈を変更しようとする)
あるいは、④矛盾する一方の分人をやめてしまうことも矛盾解決の一つの方法である。
 
(2) 分人の間の矛盾をむしろ積極的に評価しようとする。
 ⑤その矛盾を自分の中に抱え込んで、外には出さないようにする。これは上記の②と似ている。ただし、②の場合には、自己内に矛盾を抱えることをやむを得ざることとして受け入れるのだが、ここでは自己内の矛盾を積極的に評価している。⑤の場合、矛盾する複数の分人の有り様をそれぞれ積極的に評価する場合と、それぞれの分人の有り様そのものよりも、むしろそれらの矛盾を生きていること自体を(例えば、自由の証ないし自由そのものとして)積極的に評価する場合も考えられる。
 ⑥その矛盾を社会化ないし「政治化」(中野敏男)し、社会を変えようとする。これは、矛盾する一方あるいは両方の分人が属している共同体を変えるということであろう。これは、矛盾を自己の中で解消解決しようとするのはなく、社会を変えることによって解消しようとしているのかもしれない。その意味では、長期的には、矛盾の解消をめざしているのかもしれない。
 ムフは「根源的かつ多元的な民主主義にとって、紛争の最終的解決がやがて可能となるとの信条は、[…]決して民主主義のプロジェクトの必然的な地平を提供するものではなく、むしろそれを危殆に陥れるものと言うべきであろう」
(ムフ『政治的なものの再興』
p.16)というので、個々の矛盾は解決されたとしても、社会全体が「自由かつ抑制なきコミュニケーションの整序的理想へ」近づくことはないと考えている、またそれをむしろ危険なことと考えている。
 
 これら以外の分人間の矛盾への対応もあるかもしれない。そして、これらの対応の各々についても立ち入った分析をすることが有益だろうと考える。しかし、そもそも人はなぜ複数の分人や主体位置をもつことになるのだろうか。これについて、次に考えてみよう。
 

 

5 分人主義とラディカル・デモクラシー

                                  久しぶりに森に帰ってきました
 
 
5 分人主義とラディカル・デモクラシー(20140530)
 
 平野啓一郎の「分人主義」を、同調圧力から帰結する日本的な発想として捉えるのではなく、現代的なものとして捉えようとする時、その主張は、ムフのラディカル・デモクラシー論が主張する主体の有り様と似ているようにみえる。
 ムフは、「主体」概念に批判的であると紹介されることもあるが、そうではない。彼が否定するのは、「単一的な主体の理念」であって、「主体」そのものではない。彼は、ロールズの自由主義が主張する「負荷なき自我」に対する共同体論者の批判を認める。つまり、自我は他者や社会から独立に何の社会的な負荷もなしに主体たりうるわけでない。自我は「社会的諸関係に先行して存在すると想定される主体」なのではない。常に一定の社会関係の中で、あるいは一定の共同体の中で主体たりうるのである。しかし、ムフはその共同体を「単一な共同善の理念によって統合され」た共同体であるとは考えていない。その意味で、彼は「単一的な負荷な自己」も、「単一的な位置づけられた自己」も批判する(参照、シャンタル・ムフ著『政治的なるものの再興』千葉真、土井美徳、田中智彦、山田竜作訳、日本経済評論社、p. 41)。
 ムフは、「われわれは、つねに多数の矛盾をはらんだ主体なのであり、多種多様な共同体――現実にわれわれが参与する社会関係やそれらによって規定される主体位置ほどの数にのぼる共同体――に住む住民でもある。これらの共同体は、さまざまな言説によって構築されており、またそれらの主体位置の交差するところでかろうじて一時的に縫合されているだけである。」(同書、p. 42)という。
 ムフの主張の中で「分人」にほぼ対応する概念だと思われるのが「主体位置(subject positions)」(p. 156)という概念である。彼は「社会的行為主体」を「一元的な主体」として考えるのではなく、「複数の主体位置が一定のまとまりをもって結合したもの」として考える。「主体位置」は言説によって構成されるものであり、「異なった主体位置を構成する諸言説のあいだには、アプリオリで必然的な関係はない」(157)。この「複数の主体位置の結合体」もまた「特定のディスコースの内部で構成されるもの」(p.143)であるしかもその主体位置の多元性の「共在」が重要なのではなくて、「むしろ他の主体位置による絶えざる破壊と重層的決定」(p.157)が重要なのである。
 ムフは、このような複数の主体位置の偶然的な結びつき(「節合」(articulation)p.158))としてとしての主体が、われわれの現実の有り様であり、これを単一の主体として捉えたり、この接合を必然的なものないしアプリオリなものとして捉えることを、強く批判する。
 それはなぜだろうか。複数の主体位置が矛盾しあうことには、どういう意味があるのだろうか。
 
 
 
 

 

4 分人主義は、日本的な発想か、先端的な発想か

 
4 分人主義は、日本的な発想か、先端的な発想か (20140516)
 
 分人主義は、<同調圧力の強い社会の中で、社会や他者との対立葛藤を避るために、自分の主張や慾望を抑制して、自己内に矛盾を抱え込む>という特徴をもつのだろうか。
 平野氏によると、「分人は、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されてゆく、パターンとしての人格である。」(p. 7) 彼の考える分人は、個人主義の個人のように社会から分離・独立したものではなくて、相手とのコミュニケーションの中で成立するものである。もしそうならば、集団主義的な日本人(?)と同じく、分人もまた、相手との関係において対立を避けるために、自己を抑制することになるだろう。分人は、相手との関係において対立を避けるために抑圧した自己を、別の人や集団を相手にする別の分人において解放するのかもしれない。それによって、自己矛盾を解決しようとするのかもしれない。しかし、それなら、会社員が会社で押さえ込んだ不満を、飲み屋で解消しようとすることとかわらない。違いがあるとすれば、この会社員が本音と建前の区別として理解していることを、どちらも本音である二つの分人として理解することである。
 もし分人主義をこのように理解するのならば、それは旧来の本音と建前の自我論とは異なるにしても、やはり<同調圧力の強い社会の中で、社会や他者との対立葛藤を避けるために、自分の主張や慾望を抑制して、自己内に矛盾を抱え込む>という日本的な(?)自我論の一種となる。
 
 では、分人主義を、日本に限らず多元化が進む現代世界に必要とされる自我論だと理解しようとするとどうなるだろうか。現代社会では、私たちが生活する上で付き合う人々や集団は以前より多様になっている。インターネットや携帯電話などの新しいコミュニケーションのチャンネル増えたこと、国際化が進んで多様な文化の人々との交流が増えていること、などの理由が考えられる。それらの多様な相手に、一様な仕方で対応することは困難である。そこで、それぞれの場面で、パーソナリティを切り替えることが必要になる。職場で、家庭で、ネットで、親類の集まりで、分人を使い分けることになる。
 これは従来の役割論とどう異なるのだろうか。従来の役割論は、一人の個人が複数の役割を引き受けていることを認める。例えばその役割の一つに「夫」があるといえるだろう。しかし、「夫」の有り様は、夫によって千差万別である。役割論は、そうした社会的な役割カテゴリーの束として個人を捉えるのだろう。しかし、分人は、社会的なカテゴリーとは別である。妻を相手にしているときの分人は、人によって様々である。それらの分人を「夫」分人として分類することに意味は無い。私が複数の分人の束だとしても、それは社会的なカテゴリーの束ではない。一つ一つの分人は、一般的なカテゴリーなのではなくて、一つ一つの分人は、個人が固有性を持つの同様に、固有性を持っている。
 
 分人の一つ一つが固有性をもつということ、分人の一つ一つが本当の自分であるということ、これらが従来の自我論と異なるところである。それに加えて、平野氏は、次のように、分人同士が矛盾することを積極的に評価する。
「一人の同じ人間が、まったく思想的立場の異なるコミュニティーに参加しているとする。個人として考えるなら、それは矛盾であり、裏切りだ。…しかし分人の観点からは、これが可能となる。それぞれのコミュニティには、異なる分人で参加しているからだ。そして、むしろまったく矛盾するコミュニティに参加することこそが、今日では重要なのだ。」「私たちは、一人一人の内部を通じて、対立するコミュニティに融和をもたらしうるのかもしれない。」(p. 173)
平野氏は、分人同士が矛盾するのは、ある分人として我慢したことを、他の分人として発散するという文脈ではなく、「対立するコミュニティ」に属するそれぞれの分人が矛盾するのだと考える。そのような矛盾する分人を抱える人によって、むしろ対立するコミュニティの融和の可能性を探ろうとする。
 自己のうちに矛盾を抱えるのは、弱さの現れであり、状況から圧力のせいであるとかんがえる限りは、平野氏のこのような文脈での矛盾の説明にも関わらず、分人主義は、日本的な態度の現代版であると言えそうにも見える。
 ただし、自己のうちに矛盾や葛藤を抱えるということが、単に社会の同調圧力の結果という意味だけでなく、自己のうちの矛盾に関してはもう少し複雑な事態が在るかもしれない。
pan style=’FONT-FAMILY:”serif”;’> 「自己にとって矛盾や葛藤とはどのような意味があるのか」それを次に考えてみよう。
 
 
 

 
 

3 自己矛盾に寛容な社会と分人主義

                

 
 
3 自己矛盾に寛容な社会と分人主義 

(20140511)

「日本社会は、社会の和を重視するために、個人の自己矛盾に寛容である」
もしこのように言えるとすると、そこからさらに、「日本社会は、矛盾に寛容である」と言えるかもしれない。しかし、これを学問的に証明することは難しいかもしれない。いまのところ、そもそも何を示したら証明したことになるのかすらよくわからない。とりあえずできそうなことは、日本文化史の中に証拠となる言説事例を探すことである。
 
 現在の以下の情況もまたその事例となるだろう。安部首相は、本来は憲法9条を改正して軍隊を持てるようにしたいのだろう。つまり、彼は、憲法9条と自衛隊の保持が矛盾しており、憲法9条を解釈することによって、自衛隊の保持を可能だと考えることには無理がある、と考えているはずである。それにも関わらず、憲法9条の解釈によって集団的自衛権を持てるようにとすることは、彼のこれまでの考えと矛盾するはずである。このようなあからさまま矛盾に彼はなぜ無頓着なのだろうか。また社会はなぜ首相のそのような矛盾を批判しないのだろうか。マスコミの弱腰もあるが、日本社会が一般的に、矛盾に寛容なためではないだろうか。これを許しているということは、日本社会が議論が力を持たない社会になっていることを許しているということである。
  
・1990年代以後の自我論の流行
 1989年の冷戦終了後のグローバル化の中で、国家は共産主義国家への対抗の必要がなくなったために政府は福祉を切り捨て、代わりにボランティアを利用しようとし、会社は社員を使い捨てにし始めた。そのために人々は、会社に自己同一化する会社人間であることができなくなり、人々のアイデンティティが揺らいでいる。宗教への依存は、オームリ真理教事件のために抑えつけられ、国家への依存が強まりつつあるために、現在、ナショナリズムが強まりつつ在るのではないかと推測する。こうしたアイデンティティのゆらぎの中で、1990年代以後、自我論や自分探しが流行しているのではないだろうか。
  
・こうした自我論の流行の中で登場した平野啓一郎の「分人主義」について考えてみたい。近代的「個人主義」は、個人(individual)はそれ以上分けられない存在であると同時に、個人は社会から分けられ独立した自由な存在である、と考える。それに対して、平野の「分人主義」は、個人がさらに複数の分人に分けられると考えるが、「分人dividualは、他者との関係においては、むしろ分割不可能である」(平野啓一郎『私とは何か』講談社現代新書、p. 164)と、つまり他者と密接に結合しており、人間は、「他者との分人の集合体だ」(p.164)と考える。この書物を私が最初に読んだときに感じたことは、自分の生活実感をうまく表現してくれているということであった。そして、それがある意味で未来的な自我のあり方を捉えていると感じた。しかし、日本社会では、強い同調圧力が、自己内に分裂をもたらしているのではないかと考え始めてから、この分人主義というものも、そういう日本社会に特有の発想であるかも知れないと思い始めたのである。
 考えたいのは、この分人主義が、<同調圧力のために、自己内に分裂をかかえる社会に特有の思想>なのか、それともこれは<社会が多元的になってきたために生じた先端的な思想>なのか、ということである。
 前回述べたように、社会からの同調圧力が高いために自己の主張や慾望を抑え、そのために自己内に矛盾や葛藤を抱え込む、ということは、「本音と建前」として日本人におなじみの事柄だといえるだろう。
 平野氏は「分人主義」を、古臭い「本音と建前」とは異質のものだと考えている。両者の第一の違いは、「本音と建前」では、本音がいわば「本当の自分」だと考えられているが、これに対して、平野氏は「たった一つの「本当の自分」など存在しない」(『私とは何か』p. 7
)「裏返していうならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である」
(p.7)ということである。
 現代の多くの論者が「本当の自分などない」と言うのに対して、たった一つの本当の自分はないが、多くの本当の自分があると考える点で、平野氏の主張はユニークである。
 
 このような分人主義は、同調圧力の強い社会に特有のものなのだろうか?
 
 

2 同調圧力と自我の分裂

                                    登山家に山が必要なように、人生には壁が必要です。
 
2 同調圧力と自我の分裂(20140503)
 日本の政治家は、しばしば公人と私人の区別によって発言や行為の責任を回避しようとする(日本以外にもあるのかもしれないが)。公人としての発言と私人としての発言が、異なるテーマに関する発言であるならば、たとえば、政治についての公的な発言と、趣味についての私的な発言であれば、それらが矛盾することはないだろう。つまり役割の使い分けとしての公私の使い分けは必要なことだ。
 人には複数の役割があり、会社員、夫、父親、友人、自治会員、スーパーでの買い物客、ドライバー、などである。それぞれの役割に応じて、すべき行為、考え発言すべき内容やその相手が異なる。政治家として、政治的発言をし、私人として買い物をすることは別のことである。通常はそのテーマや内容はことなるので、互いに矛盾することはない。
 ところが、である。友人と話しているときに、会社の悪口を言ったとしよう。それがブログを通じて会社にバレたとしよう。そのために、会社がその社員にペナルティーを課したとしよう。これはしかたのないことではないだろうか。会社にバレなければ、問題にはならないが、バレてしまったとしたら、会社での発言と友人に対する発言との矛盾の責任は引き受けなければならないのではないか。
 これは政治家の場合も同様である。同じテーマに関して公人として発言し、またそれと矛盾することを私人として発言し、その矛盾が公的に知られた場合には、その矛盾の責任を引き受けなければならないだろう。これは、昔から言われている本音と建前の矛盾だろう。本音と建前が矛盾しており、本音が公になり、建前との矛盾が公になった時、その責任を取る必要がある。逆に言うと、それがわかっているからこそ、人は建前と矛盾する本音を公の場で隠すのだ。
 役割の使い分けとしての公私の使い分けは、必要なことだが、本音と建前の使い分けとしての公私の使い分けは許されない。
 しかしこれだけでは、政治家の公私の使い分けの問題はスッキリと分析された気がしないのだが、うまく捉えきれないので、別の角度から考えてみたい。
 
 本音と建前の区別というのは、何か日本的なもののような気がするのだが、なぜそう感じられるのだろうか。日本では、聖徳太子の時代から「和をもって尊しとなす」とされ、他者との協調性が重視された。KYもその流れである。和を保とうとすると、人は自分の意見や慾望を抑えなければならない。そうするとそこに本音と建前の使い分けが生じ、社会や他者との葛藤は、本音と建前の矛盾として自己のうちに持ち込まれることになる。
 日本人にとっては、自己の中に本音と建前の矛盾があることは、よくあること、あるいは常にあることと考えられており、倫理的に許されないこととは考えられていない。社会の和を乱すことは悪いことであり、自己の中に矛盾を抱えることは悪いことではないと思われているのではないだろうか。(仏教によれば、自我など存在しないのだから、一つの「本当の自分」をもつ必要はなく、自分の中に矛盾があっても倫理的には問題にならないのかもしれない。)日本人は、自己の中の矛盾が社会に公になることによって社会の和を乱さない限り、各人の内部の矛盾に寛容であり、社会内の矛盾や衝突に不寛容である。
 西洋社会がそうであるかどうか分からないが、個人の自己同一性を重要視する文化があるとすると、その文化においては、個人の自己同一性を貫くことによって、他者や社会と衝突が生じることに人々は寛容であるだろ。社会の中に多様な人がおり、他人と異なった意見をもち、対立する慾望を持った人々が生活しており、社会の中に常に様々な葛藤が存在することが普通だと考えることになるだろう。自己同一性を確保しようとすると、社会の分裂(不和)に寛容になり、逆に、社会の和を重視しようとすると、自己の矛盾に寛容になる。
 

1 公人と私人の使い分け

                    春の夜の職場です
 
(「問答としての社会2」での議論が、まだまだ時間が掛かりそうです。まだ国家の誕生まですら行っていません。そこで、すこしこの書庫に寄り道したいと思います。)
 
 1 公人と私人の使い分け(20140421
 
 この書庫では、まず、最近気になっている「立場の使い分け」という問題から考察を始めたいと思います。それは次のような問題です。
 NHK会長の政治的な発言が問題になったときに、彼は、その政治的な発言は個人としての発言であり、会長としての考えでないと釈明した。このような個人と公人の区別による釈明は、釈明として成り立つのだろうか。
 ある人物Xが、二つの異なる役割ABをもち、XAとしてaを発言し、Bとしてbと発言したとしよう。この二つが無関係な発言であれば、そこには何も問題は生じないだろう。しかし、その二つの発言が矛盾するとしたら、その矛盾は、Aとしての立場とBとしての立場の違いによって、解消できるものだろうか。
 これについて、しばらく考えたいと思います。
 
 

11 原始共同体内の問答(6) 共同体の歴史

               数日前の満開のサクラです。今年はなぜかサクラに心を動かされませんでした。
 
11 原始共同体内の問答() 共同体の歴史 (201404014)
 前回、共同体の同一性について述べたが、それに関連して付け加えるべき事柄が残っていた。それは、記憶の問題と、他の共同体との区別関係である。
 まず、記憶について。前回見たように、共同体の自己同一性は、記憶ないし集団的記憶を必要とする。記憶は通常、対象の記憶とエピソード記憶に分けられる。動物には対象の記憶はある。犬が、数年前飼い主であった人を記憶していたとか、イルカが、20年前の仲間を記憶していた、というような報告がある。しかし、動物のエピソード記憶の存在は報告されていない。なぜなら、エピソードの記憶は、エピソードの語りとして確認できるが、動物は言語で語ることができないので、動物がエピソード記憶をもつことを確認することができないからである。これに対して人間はエピソード記憶を持つ。
 言語によって人は、エピソード記憶を持つことが出来、さらに自分の人生についての記憶(自伝的記憶)を持つことができるようになり、それが共同体のなかで確認されることによって人格の同一性が成立することになるだろう。これと同様に、共同体もまた共同体の出来事についての人々の記憶を互いに確認しあうことによって、共同体にとっての出来事の記憶を共有する事になるだろう。これを集団的記憶と呼ぶことにしよう。この集団的記憶によって、共同体の歴史を共有することができ、それによって共同体の同一性や歴史が社会的に構成されることになる。人の人生は、家族の歴史や数十人の部族の歴史のなかで部族の歴史の一部として構成される。
 共有知が形式であり、その内容となるのが概念体系(文化)であり、それと類比的に、共同体の自己同一性が形式であり、その内容となるのが共同体の歴史である。共同体は、集団で記憶を共有することによって、歴史を共有する。
 エピソードの集団記憶によって可能になることの1つは、集団全体でおこなう約束である。未来のことを約束しても、それが当事者たちに記憶されなければ、約束は成立しないが、集団的記憶によって、未来の行為についての約束が可能になる。集団全体で行う約束によって、集団内に掟が成立する。おそらく、集団内の複数の人間の間の約束というのは、おそらく部族全体の取り決めが拘束力をもつものとして成立するようになった後で、初めて成立するだろうと推測する。なぜなら<約束できる個体>というような観念は、共同体全体での取り決めが成立する前には、成立しなかっただろうと推測するからである。