85 <事実の概念構造の客観性>と相互的意味依存  (20230225)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

事実の概念構造が、客観性を持つとは、「もしそれを認識する人がいなくても、事実の概念構造が存在している」という反事実的条件法が成り立つことだとしましょう。この反事実的条件法は、客観的世界についての語りとして成立します。

前に(第83回で)「「二様相的質料形相的概念実在論」について説明したように、ブランダムによれば、概念的内容は、二つの形式(客観的形式と主観的形式)をとります。

「主観的形式は、義務論的規範的語彙によって明示化され、客観的形式は真理論的様相的語彙によって明示化されます」(ST80)

この二つの形式ないし語彙が相互的意味依存の関係にあるのと主張するのが、客観的観念論」であることも第83回にのべました。ブランダムは、他の個所で、それらの語彙の具体例を次のように上げています。

「客観的世界の存在論的構造を分節化する諸概念:対象、性質、事実、および法則」(ST671)

「客観的世界について語り考えるプロセスと実践を分節化する諸概念:指示する、記述する、判断するないし主張する、推論する、単称名辞、述語、平叙文、仮定法条件文」(ST671)

つまり、事実の概念構造が客観性を持つことは、「もしそれを認識する人がいなくても、事実の概念構造が存在している」という反事実的条件法によって主張されるのですが、その反事実的条件法は、概念的内容の主観的形式に属するものであり、これは「存在の領域」ではなく、「思想の領域」に属します。事実の概念構造の客観性は、概念内容の主観的形式に「意味依存」しているのです。

「意味依存」は、「指示依存」と対比的に説明されます。それらは次のように定義されています。

・「意味依存」の定義

「XがYに意味依存するとは、Xの概念を把握する事が、Yの概念の把握なしには、不可能である」(ST 206)

ブランダムの挙げている例では、概念sunburn (日焼け)は 概念sun(お日様)と burn(焼ける)に意味依存する。これは一方的な意味依存の例。また、概念「親」は、概念「子供」に意味依存する。これは相互的意味依存の例。

・「指示依存」の定義

「XがYに指示依存するのは、次の場合のみである。<X(概念Xの指示対象)が、Y(概念Yの指示対象)が存在するまでは、存在しえない>場合である。」(ST 206)

ブランダムの挙げている例では、オラリー夫人の牛がランタンを蹴ることによって1871年のシカゴ大火災が起こったが、1871年のシカゴ大火災は、オラリー夫人の牛がランタンを蹴ることに「指示依存」する。これは一方的指示依存の例。

つまり、仮定法条件文の概念の把握なしには、事実の概念構造の客観性の概念の把握は不可能なのです。ただし、事実の概念構造の客観性の概念を把握するものがいなくても、事実の概念構造の客観性が成立することは可能です。なぜなら、事実の概念構造は、仮定法条件文の概念に指示依存しないからです。

この議論と問答の関係を論じたいのですが、その前に、この議論が、ヘーゲル観念論の第三段階である(とブランダムが言う)「概念的観念論」とどう関係するかを、次に見たいと思います。