名古屋の夜景です。研究会の写真はプライバシーがあって載せられないので、こんなしゃしんになってしまいます。
3月15日?の記事は、この書庫にupすべきものでした。間違えて「世にも奇妙な共有知」の書庫に載せてしまいました。お詫びしますが、訂正しません。なぜなら、コメントがついているので、コメントまで移動させられないからです。
urbeさん、pretenseのご説明ありがとうございました。
シミュレーション理論に対する批判の一つは、次の通りです。
<誤信念問題を解けない子供は、自分の心と他人の心を区別できません。つまり、誤信念問題を解ける我々が理解している意味では、「自分の心」や「他者の心」を理解していません。したがって、子供には、「自分の心」のなかの自分の意図を「他者の心」に転移する、ということが出来ないはずです。>
この批判に対して、次のような反論があるかもしれません。
<子供が意図を持つようになるとき、子供は他者の行為もまた意図的な行為であると理解します。そのときに、子供は自分の意図を意識して、それを他者の中に転移すると考えると、確かに批判を受けることになるでしょう。しかし、子供が自分の意図を意識せず、無意識的に、他者の中に意図を転移している、ということもありうるのではないでしょうか?>
このような反論に対して、どのように答えることができるか、考えてみましょう。