脳と共有知の関係に向けて

3月までの研究室です。3月末に改修の為に引越しをして、現在は存在していません。
失われた過去です(有意味な発言?)。

一つの脳の中に一つの心しかないのは何故でしょうか?
多重人格者がいるではないか、という批判があるかもしれません。そのとおりです。しかし、多重人格者が非常に少ないのはなぜでしょうか。

もし、心が一つであることの理由が、それが宿る(?)脳が一つであることによるのではないとすれば、複数の脳にまたがる共有知の存在証明に役立つのではないでしょうか。個人を越えた「我々の知」あるいは、個人を超えた「共有知」というものの可能性を考えるときに、すぐに思いつく反論は、<我々は頭で考えるのであり、頭の数だけ心があって、「我々」が一つの頭をもつということはありえないのだから、我々が数的に一つの「知」を持つこともありえない>というものです。

<我々が知の主体であると考えるのはばかげている>という批判の前提には、一人ひとりが知の主体であり、考えるのは一つ一つの頭だ、という信念があるのではないでしょうか。しかし、例えば、私が知の主体であるとは、そもそもどういうことでしょうか。あるいは、どうして私の頭の中には、私しかいないのでしょうか?

<一つの頭に一つの心があって、その心が知の主体である>ということは、それほど自明ないことであるとは思えません。しかし、とりあえずは、確かにそのように言えると思えます。ここでは、その理由を考えて見ましょう。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「脳と共有知の関係に向けて」への15件のフィードバック

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