計画と問答

宮本武蔵の生家です。昭和17に火災にあって再建されたものです。それ以前には、茅葺だったそうです。
人格の同一性も、家の同一性も、変化を乗り越えて、社会的に構成されます。
 
 
 計画と問答
 
 計画は、問答とどのように関係しているのかを考えよう。
 以前に述べたように、問いは現実認識と意図の矛盾であり、それらの現実認識や意図それ自体も、別の問いの答えとして生じる。計画は、それが最初に設定されるときには、事前意図である。その事前意図は、何らかの問いの答えとして設定されるものである。
 
 では、計画は、どのような問いに対するどのような答えなのだろうか。
 意図は、行為の理由であるが、行為の理由には、大抵より上位の理由(意図y)がある。より上位の意図(y)と現実が矛盾するとき、「yをどのように実現しようか」という問いが生まれ、その答えとして「ある行為xをしよう」という意図が答えとして与えられることになる。これが計画(事前意図)になる。計画である事前意図は、より上位の意図について「それをどのように実現しようか」という問いに対する答えなのである。そのより上位の意図もまた、別の問いへの答えとして得られたものであろう。
 
 ところで、<計画する人格の同一性>において重要なのは、計画の変更である。私たちは、しばしば計画の変更を行う。もし計画の変更が合理的な根拠もなくランダムに生じるのだとすると、そのとき、その人格の連続性を我々は身体にしか見いだせないだろう。計画が変更されたときにも、人格の連続性ないし同一性を確保できるのは、その変更が、より上位の計画に基づいていたり、以前から持っていたその人の欲求や信念に基づいていたりする場合であろう。
 
 では、このような計画の変更は、問答とどのように関係するのだろうか。たとえば、次のように考えて、計画を変更するとしよう。「日曜日に買い物に行こうと計画していたけれども、一週間後の研究発表のことを考えると、そんなことをしている余裕はない。日曜日は、発表の準備を優先した方がよいだろう。」
 この場合に、計画の変更をすることになったのは、次のような理由である。私たちは、たいていは複数の計画を同時にもっている。日曜日に買い物に行くこと、来週の研究発表を行うこと、あと2時間すれば、大学を出て帰宅すること、その途中でコンビニによること、などである。これらの計画は、ある計画とその部分計画という関係の場合もあれば、とりあえず無関係な計画の場合もある。二つの計画の両方を実現することの困難が予測されるとき、「どうしようか」という問いを立て、多くの場合、一方を優先させて、他方の計画を変更する。多くの計画を同時に抱えている以上、しばしば、このような調整のための変更が必要になる。この調整の際には、問答が行われており、計画の変更はそのような問いの答えである。多数の計画の調整統合は問答によって行われており、この問答が人格を構成している。
 
 

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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