梅雨明けの 空に浮かぶ 金団雲
16 提案は弱すぎる? (20120720)
私たちの提案に対しては、次の問いが向けられるかもしれません。
「ある人達Aが、xは社会によってのみ解決できる問題であると考え、他の人々Bは、それは社会によらなくても解決できる問題であると考えているとしましょう。このとき、xは社会問題なのでしょうか」
この問いに対して、私たちの提案では、次のように答えることしかできません。
「xはAにとっては社会問題であり、Bにとっては社会問題ではありません」
これでは、定義として弱すぎするということでしょうか?
例えば、ある国の内戦状態を、大統領は国内問題であると考えており、反政府運動の人たちは国際社会の支援がなければ解決できない国際問題であると考えている時、もし大統領が反乱軍を鎮圧したとすれば、彼はそれは国内問題として解決されたと言うでしょう。反乱軍の方は、国際社会の支援がなかったので解決できなかったと言うでしょう。
もし反乱軍が勝って民主化が行われたとすると、反乱軍の方は、国際社会の支援によって解決されたというでしょう。大統領は、国内内問題に対して不当な内政干渉があったので、解決できなかったと言うでしょう。
当事者にとっては、このような答えでは不十分です。しかし、このような場合に何が社会問題であるかについて決定できる定義をしようとするのならば、そこに一定の価値判断や規範を持ち込むことが必要になるでしょう。
しかし、そのような価値や規範そのものが社会によって構成されたもの、広い意味の社会制度であると考えられます。そして、この社会制度は、社会問題の解決策として作られ正当化されるものなのです。このように考えようとするならば、社会問題の定義の中には、このような規範や価値判断を持ち込まないほうがよいと思われます。そのほうがむしろより大きな説明力を持つ理論になるのです。