24 四肢構造と二重問答関係 (6) (0200708)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

 今日の課題は、実践の四肢構造を二重問答関係と関係づけることである。

 実践の四肢構造は、次のように表記できる。

能為者誰某は役柄者或者として、実在的所与を意義的価値として、扱う(感じる、欲する、評価する、扱う)>

実践的行為主体は、<能為的誰某―役柄的或者>という二肢性をもつ。この主体の二肢性は、対象の二肢性に対応している。とりわけ、主体の役柄と財態の価値は対応するだろう。例えば、人は教師として、相手を生徒として扱う。より細かく言えば、生徒を勉強の良くできる生徒として、あるいはできの悪い生徒として、あるいは問題児として、あるいは協力的な生徒として、などと教師にとってある価値を持つものとして扱う。ひとは教師として、教室をよく整頓された教室として、あるいは、荒れた教室として、設備の整った教室として、狭い教室として、などと教師にとってある価値をもつものとして扱う。ひとは教師として、黒板を、書きやすい/書きにくい、消しやすい/消しにくい、読みやすい/読みにくい、大きい/小さい、などと教師にとっての価値をもつものとして認識する。このように、主体の役柄と財態の価値は対応するだろう。

実践的態度は、行為を基本とするだろう。例えば、

   ひとは、教師として、生徒たちに数学を教える。

   ひとは、夫と父親として、妻と子供の生活のためのお金を稼ぐ。

数学を教える行為を、お金を稼ぐためにおこなうのだとすると、次の四肢構造がある。

   <ある教師は、夫と父親として、数学を教える行為を、お金を稼ぐこととして、おこなう>

ここでは、教師にとって、数学を教えることは、お金を稼ぐための手段であるが、もちろん場合によっては、数学を教えることは、教師の生きがいであり、生活費を稼ぐことは、その目的のための手段になっている、ということもあるだろう。

 実践的態度の中心は行為である。一般に、行為は目的を持ち、行為はその目的を実現するための手段となる。様々な行為が集まって、一つの〈役割行為〉を構成するとき、個々の行為の目的は、この役割行為の実現だということができる。例えば、「リンゴを売る」という〈役割行為〉は、リンゴを磨く、リンゴを分類する、リンゴを並べる、リンゴを勧める、リンゴを袋に入れて手渡す、代金を受け取る、などの多くの行為からなる。さらに、リンゴを含む多くの果物を売る、多くの果物を仕入れる、売り上げをみて仕入れ量を決定する、などの多くの〈役割行為〉をすることが、「果物屋」という〈役柄〉をこなすことである。これは次のように表現できるだろう。

  <人は、果物屋(役柄)として、ある行為をリンゴを売ること(役割行為)として行う>

ここでは、〈役柄〉は「役柄的或者」を示し、役割行為は「意味的価値」を示している。

 前回、行為の束が〈役割〉をつくり、〈役割〉の束が〈役柄〉をつくると説明しました。これに基づいて実践の四肢構造を表現すると次のようになる。

  <主体は〈役柄〉的或者として、ある行為を〈役割行為〉として行う>

 では、この四肢構造を二重問答関係と関連付けるにあたって、問答関係について振り返っておきたい。私たちは、問答関係を二種類に区別できる。一つは、理論的な問いと理論的な答えである。理論的な問いとは、真理値を持つ命題を答えとする問いである。理論的な答えとは、真理値を持つ答えである。もう一つは、実践的な問いと実践的な答えである。実践的な問いとは、ある目的を実現するためにどうするか、あるいはどうすべきかを問うものである。この答えは真理値を持たない。ただし、適/不適、正/不正の区別を持ちうるが、これらの区別を持たない場合もある。

 このような問答の区別を導入する時、二重問答関係は、次の4種に区別される。まず二重問答関係を一般的に次のように表示する。

   Q2→Q1→A1→A2

これは、<問Q2を解くために、問Q1を設定し、その答えA1を得る。このA1の前提の一つとする推論によって、Q2の答えA2を得る>ということを示している。

 ここで理論的問いをTQ、実践的問いをPQと表記する時、二重問答関係は、次の4種類になる。

   ①TQ2→TQ1→A1→A2

   ②PQ2→TQ1→A1→A2

   ③PQ2→PQ1→A1→A2

   ④TQ2→PQ1→A1→A2

(④のケースについては、「17 理論的問いは、実践的問いの上位の問いになりうる? (20200618)」で論じた。)

Q1に焦点を当てて、理論的な問いTQ1の二重問答関係は①と②となり、実践的な問いPQ1の二重問答関係は③と④となる。

 ここでは、実践的問いの二重問答関係、③PQ2→PQ1→A1→A2について、それと四肢構造の関係を考察しよう。例えば、ある人が果物屋として行為する目的が、家族持ちとして生活費を稼ぐことにあるとすると、次の二重問答関係があると言える。

  PQ2「私は、家族持ち〈役柄〉として、生活費を稼ぐためにどうすればよいのか?」

  暫定的A2「私は、家族持ち〈役柄〉として、果物屋を営めばよい」

(これは不完全な答えである。なぜなら、果物屋を営むためにどうすればよいのか分からなければ、答えとして役立たないからである。)

  PQ1「私は、果物屋〈役柄〉として、果物屋を営むためにどうすればよいのか?」

  A1「私は、果物屋〈役柄〉として、リンゴを売るという〈役割行為〉をすればよい」

(もしリンゴを売るためにどうすればよいのか分かるならば、これは完全な答えである。もしこれがPQ1への完全な答えであるならば、PQ2の完全な答え(A2)でもある。)

 これで 四肢構造<私は、果物屋〈役柄〉として、リンゴを売るという〈役割行為〉をする>と二重問答関係は、明確だろうか。以上から、次のように言える。

<認識や行為は、理論的問いや実践的問いの答えと理解できる。したがって、認識や行為の四肢構造は、理論的問いや実践的問いへの答えがもつ四肢構造でもある。これらの問いはより上位の問いをもち、それを考慮する時、二重問答関係にある>

問題は、これから何が言えるか、である。「四肢構造」と「二重問答関係」のこの関係から何が明らかになるのだろうか。

 廣松の四肢構造は、私には、まだあいまいな点がおおいが、しかしそれでもそれは重要な指摘だという感じがある。他方で、二重問答関係があらゆるところに見られることは明らかであり、ここの問答を認識活動や実践活動の中に位置づけようとするとき、有用な指摘になるだろう。そして、この二つは、上記のような必然的な関係にある。

 ただし、この関係から何が言えるのかは、まだ明瞭ではない。