35 行為内意図と先行意図 (20210318)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

(6種類の志向性(知覚、記憶、信念、行為内意図、先行意図、願望)がすべて問いに対する答えとして成立することを論証することが、現在の課題です。知覚と記憶についてそれを確認した後、行為内意図についてその相関する問いを考えようとしましたが、少し難しいので、先行意図と比較しながら、それを考えることにしました。)

 「先行意図」(prior intention)とは、未来においてある行為をしようとする意図です。例えば「信号が青になったら、横断歩道を渡ろう」とか、「卵に火が通ったら、火を止めよう」とかいうような意図です。

 これらは、<横断歩道を渡ること>や<火を止めること>「について」という構造を持つ心的内容であるので、志向性の定義に当てはまります。そしてこれらのS(r)構造は次のようになります。

  しよう(横断歩道を渡ること)

  しよう(火を止めること)

 先行意図は、次のような発話の誠実性条件となります。典型的なのは約束の発話です。「Aします」という約束の発話が誠実であるとは、「Aしよう」という先行意図を持っているということです。独り言や内語(inner speech)には、「いつ横断歩道を渡ろうか?」「信号が青になったら、横断報道を渡ろう」というような問答の答えの発話の誠実性条件として、先行意図が考えられます。これによって、先行意図は相関する問いに対する答えとして成立すると言えるでしょう。別の論証の仕方をするならば、次のようになります。先行意図は、実践的推論の結論として成立するものであり、実践的推論は問いの答えを求める過程として成立するのだから、先行意図は問いに対する答えとして成立するのです。

 (ちなみに、独語(独り言)や内語(inner speech)には、6つの志向性(知覚、記憶、信念、行為内意図、先行意図、願望)のそれぞれを表現するものがあります。ただしこれら以外に、「ラッキー!」とか「チクショウ!」とかの表現型発話が、独語ないし内語として語られる場合もあります。独語や内語の発語内行為について、まとめて考察する必要があると思いますが、いつか別途おこないたいです。)

 では、「先行意図」の充足条件は、どのようなものになるでしょうか。

 サールが言うように、知覚と記憶の志向性と同様に、行為内意図と先行意図の志向性もまた「因果的自己言及性」を持つと言えます。なぜなら「Aしよう」という意図が満たされるには、<Aが実現すること>だけでなく、その実現が「Aしよう」という意図によって引き起こされることが必要だからです。この意味で、意図の充足条件には、「因果的自己言及性」が含まれています。行為内意図と先行意図のそれぞれにについて充足条件の例を挙げると次のようになるでしょう。

 行為内意図「コーヒーを飲もう」の充足条件は、次の二つになります。

  ①実際にコーヒーを飲むこと

  ②コーヒーを飲むことが行為内意図によって引き起こされていること

先行意図「横断歩道を渡ろう」の充足条件は、次の二つになります。

  ①(未来において)横断歩道を渡ることが実現すること

  ②横断歩道をわたることが先行意図によって引き起こされること

この二つには、<現在の行為>の意図と<未来の行為>の意図の違い以外にも次のような違いがあります。前に(32)で述べたように、サールは、は知覚と行為内意図は「志向性の原始的な形式」であり、記憶と先行意図は、一段階上の志向性であるみなします(参照、サール『社会的世界の制作』三谷武司訳、勁草書房、60)。志向性の原始的形式では、「主体となる動物」と「環境」は直接にコンタクトし、「行為内意図の場合は、動物が原因となって環境に変化をもたらす」(同所)といいます。これに対して、「先行意図は行為内意図を充足条件に含む表象」だと言われます。「この水準では、因果成分それ自体は存在するものの、充足条件との間に直接の因果関係があるわけではない。[…]先行意図が表象するのは未来だからである。」(同所)

 行為内意図において、人間は環境に直接に働きかけ、先行意図においては、未来の行為内意図を介して環境に働きかける、という違いがあります。

 以上の考察を踏まえて、行為内意図の問答関係の考察に戻りたいと思います。