51 科学理論の公理はどのようにして法則になるのか?(20211103)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

前回つぎのように述べました。

全称命題は、それが成り立つ原因の説明を伴う時に、法則とみなされます。そして、経験法則を法則にするもの、つまり経験法則の原因を説明する命題は、理論法則です。そして、理論法則を法則にするものは、より上位の理論法則です。では、より上位の法則を持たない最上位の理論法則は、どのようにして法則になりうるのでしょうか? これが前回述べた次のような問題でした。

「科学理論の公理体系の場合に、公理となる理論法則の場合はどうだろうか。その理論法則は、より上位の法則を持たない。これは、それに用いられる理論的語彙の意味論的規則によって法則となるのだろうか。それとも、それを法則とするのは、帰納法や自然の斉一性原理のようなものだろうか。(これについて、次回考えたいと思います。)」

さて、科学理論の公理体系は、論理学の公理と数学の公理に科学理論の公理を加えたものと推論規則からなります。あるいは、数学の公理と科学理論の公理と論理学の自然推論系の基本推論規則を加えたものからなります。(数学の公理と推論規則は、それ自体が規約として成立します。あるいは、数学の公理や推論規則で用いられています。数学的語彙や論理的語彙の意味論的規則を規約することに基づいています。)この科学理論の公理は、なぜ法則となりうるのでしょうか。これは、公理なので、より上位の法則を持ちません。

 では、科学理論の公理を法則とするのは、「自然の斉一性原理」でしょうか。確かにあらゆる自然法則は、「自然の斉一性原理」を前提としている、あるいは内含していると言えるでしょう。しかし、仮に「自然の斉一性原理」を認めるとしても、それだけでは、科学理論を導出するには、不十分です。

 もし科学理論の公理を導出できる法則が他にあれば、それがその科学理論の公理となり、それまで公理とみなされていたものは定理であることになります。したがって、科学理論の公理が公理の資格を持つ限り、それを導出する法則はありえません。

 では、科学理論の公理が単なる全称命題ではなく、法則とみなされるのは、規約によるのでしょうか。(数学や論理学の公理と同様に)そこに用いられる理論的語彙の意味論的規則の規約によって法則となるのでしょうか。しかし、もしそうならば、この法則と事実との一致や対応は、(たとえこれらを見かけ上のものだと見なすとしても)、どのようにして説明可能になるのでしょうか。

 ここで数学と自然科学の境界にある「幾何学」について考えてみましょう。ヒルベルトの『幾何学の基礎』では、幾何学の用語は、無定義術語であり、その意味は、公理において示されたその使用の仕方であると考えられます。そのようなヒルベルトの幾何学は、現実の物理世界とは無関係なものです。カルナップは、幾何学を、数学的幾何学と物理的幾何学に区別し、前者は分析的でアプリオリであり、後者は綜合的でアポステリオリであると考えました。この後者の物理的幾何学は物理学の一部であり、その公理は物理学の公理の一部となります。

 しかし、この二つの幾何学は、同一の公理から成る同一の公理体系である。違いは、物理的幾何学の幾何学用語は無定義術語ではなく物理世界の対象を指示しており、公理や定理は、物理世界の事実に対応している、とい

これとどうような区別をアインシュタインも説明しています。アインシュタインは、講演「幾何学と経験」(1921)(石原純訳、http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Einstein/kikagaku-keiken.pdf)において、幾何学を「純粋の公理幾何学」と「実用幾何学」に分けています。そして「公理幾何学」がなぜ自然に妥当するのか、なぜ「実用幾何学」になりうるのかを、次のように説明します。

「幾何学はその単純な論理的形式的な性質を虚脱してしまって,公理主義的に立てられた空虚な概念様式に対し更に実在の経験的対象(体験)を相当させなくてはなりません。之を実行するためには私達は次の律則(proposition)を附け足せばいいのです。

固体はその位置配列の可能性に関して丁度三次元のユークリッド幾何学の立体の通りの関係をもっています>

斯うなれば即ちユークリッド幾何学の諸定理は実際上の剛体の関係を云いあらわすようになります。」(同訳3)

この「律則」は、数学的概念と自然科学の概念を結びつける規則です。これは「対応規則」(つまり自然科学内部で、観察語と理論語を結びつける規則)に似ています。対応規則によって、理論は観察と結びつくのですが、ここでは、この「律則」によって公理幾何学(数学)の概念と実用幾何学(自然科学)の概念を結びつけるのです。アインシュタインは、この「実用幾何学」は、物理学の基礎的な部分であり、それは経験からの帰納によって正当化されている、と述べています。

「斯様に補足された幾何学は,明らかに一つの自然科学であります。私たちはそれをあたか恰 も物理学の最も原始的な分科として見なすことが出来ます。それの叙述は本質的に経験からの帰納に依存するのであって決して単に論理的の帰結に依るものではありません。」(同訳3)

時間と距離は、多くの物理法則における重要な変数ですが、これらは実用幾何学に概念です。

「物理学上のすべての長さの測定はこの意味に於ける実用幾何学です。測地学や天文学上の長さの測定もこれと同様であって,そこではな尚お手段として,光が直線,但し実用幾何学で意味する直線に進むと云う経験的法則を用いるまでのことです。」(同訳3)

では、公理幾何学と実用幾何学はどこが異なるのでしょうか。公理的幾何学と物理的幾何学の間には、体系としては違いはないでしょう。公理も定理も同じです。ただし、実用幾何学は、論理学と(幾何学を除く)数学の公理に、(物理学の公理としての)幾何学の公理が加わったものに、さらに物理学のその他の公理が加わった物理学の公理体系の一部分を構成することになります。これによって、「点」「線」「面」「長さ」などの概念の意味は、幾何学の公理によって規定されるだけでなく、物理学の他の諸公理によってもまた規定されます。それによって、公理的幾何学の概念は、自然現象と結びつくことが可能になるのです。これにたいして、公理幾何学の概念の意味は、論理学の公理と幾何学の公理とその他の数学の公理からなる公理体系によって、あたえられることになります。この点で、実用幾何学の概念の意味とは区別されます。

 次に、この実用幾何学の理解は、「この宇宙は、ユークリッド空間なのか、非ユークリッド空間なのか」という問題とどう関係するのかを説明します。この問題は、自然科学における公理が、どうして法則になりうるのか、という問題と関係しています。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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