54 「ベイズの定理と問答」の考察の行き詰まり (20221201)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

49回目からベイズ推論と問答推論の関係を考察しています。証明したいことは、<ベイズ推論は、問答推論として成立する>ということでした。

52回で述べたように、ベイズ推論も推論である以上は、前提と結論からなるものです。したがって、通常の推論と同じく、与えられた前提から論理的の帰結する結論は複数可能です。その中の一つを結論として選び出すことによって実際の推論が可能になるのですが、その選択を決定するものが何であるのかは、ベイズ推論の中には与えられていません。それはその推論が行われる文脈の中にあるはずです。私は、問いないし問いに答えようとすることがそれであると考えます。

しかし、フリストンたち神経科学者が主張するように、ベイズ推論によって、知覚や行為やその心の働きが説明可能であるとしても、その場合のベイズ推論は、人間が意識的に行っていることではありません。彼らが主張するのは、知覚や行為における脳の働き(の一部)をベイズ推論によって説明できる、ということです。意識を持たない動物の見かけ上のその探索もまた、ベイズ推論によって説明できるのかもしれません。では、これらのベイズ推論はどのようにして可能になるのでしょうか。その場合、結論となりうる可能な複数の候補から、一つを選び出すのは何でしょうか。そこには問うことと似た働きをするものがあるのでしょうか。

 <ベイズ推論は、問答推論として成立する>を証明することは、可能だろうと今も推測しているのですが、(今の私には)非常に難しいのでもう少し時間がかかりそうです。そこで逆方向からのアプローチ、つまり「問い」を予測誤差最小化メカニズムによって説明することを考えたいと思います。

 

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。