54 「ベイズの定理と問答」の考察の行き詰まり (2021201)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

49回目からベイズ推論と問答推論の関係を考察しています。証明したいことは、<ベイズ推論は、問答推論として成立する>ということでした。

52回で述べたように、ベイズ推論も推論である以上は、前提と結論からなるものです。したがって、通常の推論と同じく、与えられた前提から論理的の帰結する結論は複数可能です。その中の一つを結論として選び出すことによって実際の推論が可能になるのですが、その選択を決定するものが何であるのかは、ベイズ推論の中には与えられていません。それはその推論が行われる文脈の中にあるはずです。私は、問いないし問いに答えようとすることがそれであると考えます。

しかし、フリストンたち神経科学者が主張するように、ベイズ推論によって、知覚や行為やその心の働きが説明可能であるとしても、その場合のベイズ推論は、人間が意識的に行っていることではありません。彼らが主張するのは、知覚や行為における脳の働き(の一部)をベイズ推論によって説明できる、ということです。意識を持たない動物の見かけ上のその探索もまた、ベイズ推論によって説明できるのかもしれません。では、これらのベイズ推論はどのようにして可能になるのでしょうか。その場合、結論となりうる可能な複数の候補から、一つを選び出すのは何でしょうか。そこには問うことと似た働きをするものがあるのでしょうか。

 <ベイズ推論は、問答推論として成立する>を証明することは、可能だろうと今も推測しているのですが、(今の私には)非常に難しいのでもう少し時間がかかりそうです。そこで逆方向からのアプローチ、つまり「問い」を予測誤差最小化メカニズムによって説明することを考えたいと思います。

 

41 ベイズ推論から問題設定の反証主義へ (20221023) 

[カテゴリー:日々是哲学]

ポパーの反証主義は、命題が科学的であるかどうかを区別するために、命題が反証可能であるかどうかをもちいることを提案しました。ポパーは、それを命題が有意味か無意味かの区別に使えるとは考えていませんでした。科学的な命題は、反証可能であるから、反証されたならば、それを修正することになります。ポパーは、それの繰り返しによって、次第に真理に近づくと考えました。

これに対しては、<ある命題が反証されたときに、他の前提を加えたり修正したり除去したりして、その命題を維持することが可能である>という批判がありました。反証を無効化するこのプロセスは「免疫化」と呼ばれています。ただし、反証主義には、探求を始めるために確実な出発点を見つけなければならない、という困難を回避できる、という長所がります。

ところで、問いの前提について、それの証明が必要だと考えるのではなく、とりあえず問いの前提を設定して、それが反証されたならば、それを修正することによって、より正しい問いの設定に接近していくという方針を考えることができます。これを「問題設定の反証主義」と呼びたいとおもいます。ところで、ポパーの反証主義に対して、どのような命題も反証に対して免疫化可能であるという批判があったように、この問題設定の反証主義に対しても、どのような反証に対しても免疫化可能であるという批判が可能です。ただし、反証主義の長所、つまり<探求を始めるために確実な出発点を見つける必要がない>という長所をより、強化するのに役立ちます。つまり、反証主義では、ある問題に対する答えをとりあえず設定して、その正しさをテストにかけるという仕方で探求を開始できたのですが、そのとき、問題の設定の適切性については言及していませんでした。ある問題に対する答えを設定する前に、問題の設定をしているのですが、この問題の設定についても、私たちはとりあえず問題を設定して、それの適切性をテストにかけて修正するという仕方で、探求を始めることができるのです。

 (これがベイズ推論と似ていることは、一か月後に、カテゴリー「人とはなぜ問うのか」で論じたいとおもいます。)

52 ベイズ推論は問答推論として成立する (20221020)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

まずベイズ推論と問答推論の関係を説明します。

#ベイズ推論は、問答推論として成立する

ベイズ推論も推論であるなら、前提から結論を導出するという形式になっているはずです。そしてそこでも、前提から論理的に導出可能な結論の候補は複数あるでしょう。したがって、そこで一つの候補を結論として選択するときには、問いが働いているだろうと推測します。つまり、ベイズ推論もまた、問答推論として成立すると推測します。以下がその説明です。

  ベイズの定理:  =P(X|A)P(A)/P(X)

 この定理は、次のように変形します。

    = P(A)(P(X|A)/P(X))

そうすると、この式は次のように理解できます。

<主観確率P(A) に、係数 P(X|A)/P(X)を掛けることにより、証拠 X を加味して、より客観性の高い確率 P(A|X) を求めることができる>

このようなベイズ推論の前提は、P(A)とP(X|A)/P(X)であり、結論は  です。これらの前提が成り立つとは、<P(A)がある値aとなる、つまりP(A) = aが成り立つ>、かつ、< P(X|A)/P(X)がある値bとなる、つまり P(X|A)/P(X)=bが成り立つ>ということです。結論P(A|X)が成り立つとは、<P(A|X)がある値cとなる、つまりP(A|X) = cが成り立つ>ということです。

しかし、P(A) = aとP(X|A)/P(X)=bから帰結するのは、P(A|X) = c であるとは限りません。例えば、 P(X|A)/P(X) P(A) = (P(X|A)/P(X))/P(A) もまた帰結します。ここでP(A|X)が結論として選ばれるのは、問い「P(A|X)はいくらか?」あるいは「「P(A|X)はcであるか?」に答えるためであり、この推論がこの問いに答えるためのプロセスとして行われているからです。

次に、この問いとベイズ確率がどう関係しているのかを説明します。

#ベイズ確率と問答の関係

ベイズ確率P(y|x)は、事象xが起きた時に、事象yが起きる確率を表します。このようなベイズ確率は、問答の関係に似ています。今次の問答があるとします。

①「これは何ですか?」「これはリンゴです」

問答①は、「これ」が指示する対象が存在することを、問いの前提(問答の前提)としています。今仮に、事象xを命題「これが対象aを指示する」で、事象yを命題「対象aがリンゴである」で表すことにします。このとき、ベイズ確率P(y|x)は、事象xが成り立つとき、事象yが成り立つ確率を表しますが、事象xが成り立つとき問い「これは何ですか」が成り立つとすると、次のようにいえます。

  P(y|x)は、①の問いが成り立つとき、①の答えが成り立つ確率を示す。

一般的には次のように言えるでしょう。

<問いQは、常に何らかの前提をもち、問いが成立するためにはその前提が成立することを必要条件とします。ここで問いQのすべての前提の連言が表している事象をpとするとき、問いある問いQに対して、Qのある答えが表している事象をaとするとき、その答えがQの正しい答えとなる確率は、P(a|p)と表現できます。>

(この後、見かけ上の能動的推論と問答としての能動的推論の区別、にまで話を展開しなければ、一区切りとはならないのですが、実は「自由意志」についての学会発表のための準備が切迫してきましたので、新しいカテゴリー「自由意志と問答」を立ち上げ、一か月ほどそこに書き込みしたいとおもいます。ここでの議論の続きは、一か月後、11月の下旬に再開したいと思います。)

51 ベイズ推論と予測誤差最小化メカニズム (20221017)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

フリストンやホーヴィは、生物の知覚は、ベイズ推論をもちいた「予測誤差最小化メカニズム」によって成立する、と主張します。

彼らによると、脳は、感覚刺激から対象の知覚をボトムアップによって作り上げるのではなく、脳内で対象のあり様を想定し、そこから、それを原因として生じる感覚刺激を予測し、その予測を実際の感覚刺激と比較して、誤差があれば、最初に想定した対象のあり様を修正し、もう一度、それを原因として生じる感覚刺激を予測し、それを実際の感覚刺激と比較する、という「予測誤差最小化」を繰り返して、対象の知覚をトップダウンで作り上げます。

これは、ポパーの反証主義という科学方法論に似ています。ポパーは、観察データから理論を構築するのではなく、理論を想定して、それを観察によってテストし、そのテストに反証されてたならば、理論を修正し、それをもう一度テストし、ということの繰り返しによって、科学理論を改良していくことを考えました。この過程で、ポパーは観察から理論をどう作るか問題としません。それはどのような仕方であってもよく、問題なのはそれを観察でテストすることであり、テストに合格する理論をつくることだと考えるのです。「予測誤差最小化メカニズム」というのは、このようなポパーの反証主義に似ていると思います。これもまた、ボトムアップで感覚刺激から対象の知覚をどう構成するかは問題ではなく、その対象知覚を、感覚刺激でテストし、誤差があれば、修正することによって対象の正しい知覚をえる、というアプローチです。

では、この予測誤差最小化メカニズムは、ベイズ推論とどう関係するのでしょうか。

ここで、あるタイプの事象Aはあるタイプの対象のある在り方であり、あるタイプの事象Xはその対象を原因として生じるあるタイプの感覚刺激だとします。ここに次のベイズの定理が成立します。

ベイズの定理:P(A|X) = P(X|A)P(A) /P(X) 

ベイズ推理は、このベイズの定理を次のように解釈します。

<P(A)は、あるタイプの感覚刺激Xの原因として考えられるあるタイプの対象のある在り方Aが成立する事前確率であって、主観確率です。それに対してP(X)は、客観的にあるタイプの感覚刺激Xの事例が成立する確率です。そして、感覚刺激Xが生じた時に、その原因と考えられる対象のある在り方Aが起きていたと考えられる確率(事後確率)を推論することができます。> 

 この解釈を予測誤差メカニズムの説明に対応させれば、次のようになるでしょう。

<対象のあるあり方Aを事前想定して、それを原因として因果関係によってあるタイプの感覚刺激Xが成立すると推理します。この感覚刺激と、実際に生じている感覚刺激を比較して、誤差があれば、その誤差に応じて、対象のあり方Aを修正したものを、事後想定します。>

ベイズ推論の場合、確率が事前確率から事後確率へと修正されるのに対して、知覚の場合には、対象のあり方について(あるいは対象が何であるかについて)の理解が修正されます。この違いは、次のような説明で乗り越えられます。例えば、最初は対象がリンゴである確率が高く、カエルである確率が低かったものが、ベイズ推論の繰り返しによって、次第にカエルである確率確率が高くなり、リンゴである確率が低くなり、カエルの知覚が正しい知覚とみなされるようになるのだと思います(リンゴとカエルの例は、『能動的推論』に登場する例です。)どのような知覚も100%確実ということはありえないので、知覚は常にこのような確率の度合いを持っており、当初の確率を修正される過程が、知覚が成立する過程なのだと考えることができます。

 次にこのようなベイズ推論と問答推論の関係を考察したいと思います。