14 日常の疑いの論法 (20200819)

[カテゴリー:問答と懐疑]

山田氏の整理している懐疑の論法は簡略化すれば、次のようなものであった。

① 主張:p

② 証明項:pに対する証拠q

③ 懐疑論的仮説 r

④ 証明不可能性の論証:②の証拠qによって、③のrを否定することはできない。

⑤ 正当化の否定:③のrが成り立つなら、①のpは成り立たない。

⑥ 結論:②と③は両立可能であるから、②が成り立っても、①が成り立つかどうか疑わしい。

例えば、

① 主張:「トランプは再選されないだろう」

② 証明項:「世論調査では、バイデンがトランプにリードしている」

③ 懐疑論的仮説「ヒラリーの場合のように、結果は、世論調査とは異なるものになることがある」

④ 証明不可能性の論証: ②の証拠によって、③を否定することはできない。

⑤ 正当化の否定: ③が成り立つなら、①は主張できない。

⑥ 結論:②によって①「トランプは再選されないだろう」というのは疑わしい。

ちなみに、懐疑よりも批判の方が負担が大きい。なぜなら、主張への懐疑のためには、主張の論拠の不十分さを指摘するだけでよいが、主張を批判するには、主張の論拠の不十分さを指摘したり、主張の論拠を否定するだけでなく、主張そのものを否定する論拠を示す必要があるからである。。上の例で言えば、「トランプは再選されないだろう」という主張を否定し、「トランプは再選されるだろう」と主張し、その根拠を示す必要がある。懐疑よりも、批判の方がなすべきことが多いが、もし可能ならば、その方が成果が大きい。何故なら、ある主張の懐疑よりも、ある主張への批判の方が、より多くの可能性を排除しているからである。

いずれにせよ、ローカルな懐疑は可能である。では、ローカルな懐疑主義が可能かどうかを、次に考えよう。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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