[カテゴリー:日々是哲学]
冷戦終結後、世界的にも日本国内でも経済格差が拡大し続けています。これに対抗するのに、現代では共産主義や社会主義をもちだしても有効だとは思えません。目指すべき社会像を見失っていることが、現代の大きな問題だと思います。
そこで、提案したいのは、かつて日本の「現実」(?)として語られていた「総中流社会」です。
この言葉は、当時はあまりポジティヴな意味で使われていなかったように思います。しかし格差社会になってしまうと、「総中流社会」は目指すべき社会像とすることができるのではないでしょうか。日本だけでなく、世界全体を「総中流社会」にすることは、人類の幸福のためには、是非とも必要なことであると思います。
もちろん「総中流社会」という言葉だけでは曖昧過ぎるので、その意味を明確に規定する必要があります(ただし、厳密な定義は、ウィトゲンシュタインが指摘したようにおそらく不可能だろうとおもいます)。さらに「「総中流社会」の実現によってどのような社会問題が解決されるのか?」、「総中流社会をどのようにして実現するのか?」などに答える必要があります。
「これでは、最底辺の人々を救えない」という批判があるかもしれませんが、それに答えるには、「「誰でも中流になれる社会」をどのように実現するのか?」に答える必要があります。
「総中流社会」というのは、人類が目指すべき社会像として魅力的なのではないでしょうか?