[カテゴリー:日々是哲学]
「自粛」「忖度」「わきまえる」「自主規制」
これらは似ています。そして、これらはカント的な「自律」とは両立せず、「他律」に属します。しかし、これらは、命令されたり、強制されたりする他律とはことなります。いわば、「触発」されるのです。カント的な「他律」は、強制的な他律と、強制的でない他律に分かれます。
カントが、強制的でない他律として挙げているのは、感性的な欲望に触発されることです。ついついケーキを食べてしまうというような他律です。
しかし、冒頭にあげたものは、これとは異なります。そこで、強制的でない他律を、二つのタイプに分けることができるでしょう。
第一のタイプ:「触発」「促し」「誘惑」など。
第二のタイプ:「自粛」「忖度」「わきまえる」「自主規制」など。
この二つは、何が違うのでしょうか。前者は、他者や対象に誘惑されて行動するのですが、その前提には主体の欲望があります。欲望がなければ、誘惑されません。欲望というのは、快楽や利益などの良きものへの願望です。それに対して、後者も、また他者や対象の影響によって行為調整するのですが、後者の「忖度」「わきまえる」などの背後には、不快や不利益を避けようとする願望があるように思います。