39 志向性としての「想像」  (20210330)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

サールは、(28回目)で示した表で、6種類の志向性を見事に整理している。しかし、この表はおそらく完全なものではありません。この表には含まれていませんが、サールは、「想像」もまた志向性の一種とみなしていると思われます。

 「想像」(imagination) は、「ついて」性をもつ心的状態であるので、志向性の一種だといえます。また想像は、次のように「状態類型Sと内容pの区別」(サール『社会的世界の制作』三谷武司訳、勁草書房、59)をもちます。

    想像する(火星人)

ただし、想像は、適合の方向を持ちません。つまり想像の内容が事実であると考えているのではないし、事実であって欲しいと考えているのでもありません。したがって、これまでの6つの志向性とは異なります。したがって、「想像との適合には責任が存在しない」(サール『社会的世界の制作』三谷武司訳、勁草書房、59)そして、想像は現実と適合する必要がないのですから、何でも自由に想像できます。「想像とは、自由で自発的な行為である」(同所)と言われます。「適合の方向」を持たない「想像」には誠実性条件も充足条件もないでしょう。

 このように「適合の方向」をもたない想像は、他の志向性とどのような関係にあるでしょうか。もし対象や事態を想像できなければ、その対象や事態を、知覚したり、記憶したり、信じたり、その実現を行為内意図したり、先行意図したり、願望したりできないでしょう。なぜなら、これら6つの志向性は、いずれも表象(知覚と行為内意図は、表象ではなく提示だといわれますが、提示も表象の一種です)であり、想像は、その表象から現実へのコミットメントを取り除いたものだからです。逆に言うと、想像している表象に、現実への適合のコミットメントを付け加えると、6つの志向性のいずれかになるのです。

(しかし、非表象的な知覚、記憶、行為内意図、先行意図があるとすると、それは想像なしにかのうでしょう。たとえば、非脊椎度物の知覚や記憶などは、非表象的だと思われますが、おそらくそれらは心的状態をもたず、志向性を持たないでしょう。)

 ところで、前言を翻すようですが、想像が「適合の方向」を持たないということは、それほど自明なことではないように思われます。想像は、どのようなときに生じるのでしょうか。6つの志向性の中では、サールが言うように、知覚と行為内意図がもっとも基礎的な志向性だと思われますが、想像は、それらと同じ程度に基礎的な志向性だと思われます。なぜなら、知覚や行為内意図が成立するには、想像が必要だからです。例えばサイコロを知覚する場合、私たちは見えている面だけでなく、見えていない面についても想像しています。なぜなら対象がサイコロであるということは、それが立方体であるはずだからです。つまり、見えていない面も平面になっていることを想像しています。ところが、この想像は、知覚と同様に、心から世界への「適合の方向」をもちます。あるいは、このような想像は、知覚の一部に含めるべきかもしれません。

 もしこのよう視知覚を、視覚刺激だけに制限せずに拡張するならば、アフォーダンスの知覚もまた、そこに含めるべきでしょう。例えば、美味しそうなケーキを見た時、その知覚には「おいしさ」の想像が伴い、またおいしさの想像には、食べたいという願望が伴います。この「おいしさ」の想像は、「適合の方向」を持ちます。アフォーダンス理論ならば、その「おいしさの」想像は、知覚とは別のものではなく、知覚に含まれると考えます。

 また、つぎのような想像もあります。知人からクレタ島を訪れた時の話を聞いて、クレタ島の様子を想像し、クレタ島に行きたくなったとしましょう。クレタ島の景色の想像は、「適合の方向」を持っています。しかし、それは知覚的な想像(知覚に似た想像、あるいは知覚の想像)ですが、知覚でも、記憶でも、ありません。

 また、探偵ホームズの年齢を想像する場合はどうでしょうか。それは知覚的な想像ではありませんが、適合の方向を持つでしょう。(英語では、ホームズの年齢を想像するというときに、imaginationとは言わないかもしれません。)

 このように想像には、様々なものがあります。適合の方向を持たない想像もありますが、適合の方向を持つ想像もあるように思います。

 多様な想像をどう理解するかを考えるため、またそれらと問いの関係を考えるために、問いを志向性として考えられるかどうかを、次に考えてみたいと思います。