26 知覚報告の特徴(現在形) (20210627)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

前回最後に一つの問いと一つの気がかりを述べました。

まず問いについては、次のように答えたいと思います。

①「<肯定的と否定的の区別は、事実の区別ではなく、事実についての記述の区別だ>と言えるとすると、知覚についても同様に<肯定的と否定的の区別は、知覚の区別ではなく、知覚についての記述の区別だ>と言えるでしょうか。しかし、危険な山道のような、ネガティヴなアフォーダンスがあります。これをどう考えたらよいでしょうか。」

確かに、危険な山道のようなネガティヴなアフォーダンスがありますが、正確に言うならば、アフォーダンスそのものには肯定的と否定的の区別はなく、アフォーダンスの記述に肯定的と否定的の区別があるのだと考えたいとおもいます。

 次に気がかりのほうですが、これについては次回以後に考えることにして、今回は知覚報告の第三の特徴(現在形)について考えたいと思います。

 知覚は、つねに現在の状態や出来事の知覚ですが、それは何故でしょうか。言い換えると、私たちには、過去の状態や出来事を知覚することはできませんし、未来の状態や出来事を知覚することもできません。それは何故でしょうか。それは、私が知覚している状態や出来事を、「現在の(あるいは「今」の)状態や出来事として定義するからだと思います。私たちは、知覚している世界を、「現在の(あるいは「今」の)」世界として定義しているのです。

 ところで、私たちが知覚している状態や出来事は、一瞬のものではなく、多くの場合一定の時間経過を含んでおり、その内部の要素間に前と後の区別があります。そしてそれらを知覚すること自体も、瞬間としての現在において成立しているものではありません。たいていの場合、知覚の成立には、ある程度の時間持続が必要です。一瞬だけ物を見ても、それが何であるか、それが何色であるか、それがどんな形であるか、などを知覚することはできません(状態の知覚)。滝の知覚、波の知覚、鳥の鳴き声の知覚、クマがこちらに近づいて来ることの知覚など、運動や動作の知覚は、ある時間経過の知覚です(運動や行動の知覚)。ところで、時間経過する出来事の知覚自体も時間経過を必要とするはずです。また、イヌが何かを食べていることを知覚するには、単に口が動いていることを知覚するとき以上に、より長い時間がかかります。

 時間経過の知覚は、変化そのものを知覚しているのでしょうか。それとも知覚の変化の記憶に基づいて時間経過を判断しているのでしょうか。夜が明ける、日が暮れる、という判断は、長い時間を必要とするとので後者であるかもしれません。日の出から日没までの変化については、確実に後者になります。この二つの間の境界は曖昧であり、明確に区別できないでしょう。短いメロディーでなく、長い一曲になるのと、その変化は、記憶によってとらえられるものになるでしょう(小林秀雄によれば、モーツァルトは、一曲を丸ごと知覚できたそうです。その場合、モーツァルトは、一曲全体を「今の」出来事として知覚したでしょう。)。

 物の状態を知覚するのにも時間経過が必要ですし、時間経過をもつ運動や動作の知覚にも時間経過が必要です。それらの時間は「現在」あるいは「今」として理解されます。

 <私が知覚している状態や出来事が、「今の」状態や出来事である>と「今」を定義するとき、想起された知覚は「以前の」あるいは「過去の」知覚であり、<想起された状態や出来事は「以前の」あるいは「過去の」出来事である>と定義されます。逆に言うと、<「過去の」状態や出来事とは、想起された状態や出来事です>。

 私たちが知覚するのは、現在の状態や出来事であるので、知覚報告は、現在の状態や出来事の報告となり、その文は「それは青い」のような現在形となります。過去の知覚についての想起にもとづく報告ならば、「それは青かった」のように過去形になります。これはもちろん知覚報告ではありません。

 (私たちが日常的に使用する、3分待つとか、2時間前です、一週間後とかの時間意識は、数概念や数の体系を用いています。それは単なる知覚報告ではなく、発達した概念枠組みの中で可能になる時間意識です。私たちは、訓練すればそのような時間経過を知覚できるようになるでしょう。10秒という時間経過や一時間という時間経過を知覚できるようになるかもしれません。「それは青い」という知覚報告が、色名の体系の学習を前提するように、「10秒経ちました」という知覚報告も、時間の概念体系の学習を前提します。このような報告を知覚報告に入れるかどうか、そもそも知覚報告とその他の経験的報告をどう区別するか、これらは今後の検討課題です。)

 次回からは、知覚報告を含めた経験判断一般、あるいは経験的認識を考察します。経験的認識の基礎となるのは、知覚報告であると思われるので、知覚報告とその他の経験判断との関係を考察したいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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