32 前回への補足と、帰納法と自然の斉一性の関係  (20210713)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#類推と条件反射の異同について(補足)

前回述べたように、類推と条件反射は異なるものです。しかし、これらは無縁ではありません。二つの対象の類似性の認識から、未確認の性質についても類似性を想定することが、条件反射として生じることがあるかもしれません。ただし、それはまだ類推ではありません。これはいわば「見かけ上の類推」です。反射や条件反射が、「見かけ上の探索発見」(これについては、カテゴリー「人はなぜとうのか」の17, 20, 22, 24回発言を見てください)であるとすると、それと同じく、このような条件反射は「見かけ上の類推」だといえるでしょう。

 二つの対象が、或る性質を共有することに気づいたり、想起したりしたときに、ある性質を共有している可能性が高いと考えたならば、それは類推です。これに対して、条件反射の一種である「見かけ上の類推」は、新しい信念の獲得のように見えるのですが、過去の刺激と反応の反復であって、新しい信念の獲得であることを意識していません(この「新しい信念の獲得であることを意識していません」という表現は、曖昧で問題です)。もし、「それは新しい信念ですか」と問われて、「はい、それは新しい信念です」と答えることができるならば、それは類推だと言えるでしょう(ただし、このように問答できることを、類推であるための必要条件とすることは、強すぎるかもしれません)。

次に帰納法の考察をしたいと思います。帰納推理(帰納法)を、事例の認識からそれを一般化した法則を推論することと定義しておきます。帰納法は演繹推論のような厳密な推論ではなく、その結論は確実に真となるというものではありません。そこで「帰納法はどのようにして正当性を持つのか」と問われます。その問いに答えるためにしばしば持ち出されるのが、「自然の斉一性原理」ですので、帰納法と自然の斉一性原理との関係について考察したいと思います。

#帰納法と自然の斉一性

帰納法は、自然の斉一性(自然の一様性)を前提しているように見えます。「自然の斉一性」原理とは、「自然現象には規則性がある」という原理だと言えるでしょう。ヒュームは、斉一性原理は、帰納法によってつくられた原理だと考えたと言われています(後で出典を確認します)。

 ①帰納法は、自然の斉一性原理に基づく。

 ②自然の斉一性原理は帰納法に基づく。

このどちらが正しいのでしょうか。それとも両方とも正しく、この二つは循環しているのでしょうか。①が正しいと考えることは、帰納法を演繹推論に還元しようとすることと親和的です。②は、様々な自然現象に規則性があることを認識することから、「全ての自然現象に規則性がある」(自然の斉一性原理)という一般的な法則を帰納しているという主張です。

ところで、帰納法は、法則を発見する方法であって、法則を正当化する方法ではありません。したがって、②の主張は、自然の斉一性原理の発見を説明しているのであって、自然の斉一性原理を正当化しているのではありません。①は、斉一性原理によって、帰納法を正当化しようとするものですが、斉一性原理そのものは正当化されず前提されています。そこで上の①と②を次のように言い換えることができます。

 ①’帰納法は、自然の斉一性原理によって正当化される。

 ②’自然の斉一性原理は、帰納法によって発見される。

帰納法を正当化しようとすれば、①しかないでしょう。もし自然の斉一性が成立しなければ、帰納法による自然の探究は無意味です。(ただし、自然の斉一性が成立するかしないかが分からないという認識状況で、自然の斉一性が成立することを期待して。自然の探究を行うことは合理的な態度です。多くの人の態度は、これにあたるかもしれません。)ところで、自然の斉一性原理そのものは、経験判断ではありません。では、この原理の正当性についてどう考えたらよいでしょうか。

 次にこれを考えたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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