33 「自然の斉一性原理」は経験判断ではない  (20210714)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

全称判断「すべてのカラスは黒い」を単称判断である知覚報告「このカラスは黒い」から演繹することはできません。この全称判断はいくつかの知覚報告からの帰納推理によって得られるのでしょうか。しかし、帰納推論の結論は確実なものではなく、蓋然的なものにとどまります。このような全称判断の場合には、反証が可能です。「これは黒くないカラスである」という観察があれば、その対象が反証例になります。つまり、そのいみで、この全称命題が成り立つかどうか、その帰納推論が正しいかどうかは、経験的な問題です。

 では、自然の斉一性原理についてはどうでしょうか。自然の斉一性原理「自然現象には規則性がある」もまた、いくつかの規則性を、帰納推論などによって発見したあとで、それからの帰納推論によって「すべての自然現象には規則性がある」という全称命題を導出したものかもしれません。獲得の方法はいずれにせよ、これを反証するには「この自然現象には規則性がない」という観察があればよいのです。そのような観察は可能でしょうか。

 例えば、次にいつどこで地震が発生するか、私たちにはわかりません。しかし、地震学は、その予測を目指しているのではないでしょうか。予測できるようになる保証はありません、つまり「地震現象には規則性がある」が成り立つかどうかはわかりませんが、地震学は、規則性が成り立つことを期待して、その規則性を求めて研究しています。あるタイプの現象Aが起きると、続いて地震が起こるという規則性が見つかれば、それを予測に使うことができます。その予測が外れれば、反証されたということになります(もちろん予測についてのアドホックな擁護は常に可能です)。ここで反証されたのは「あるタイプの現象Aにつづいて地震が起きる」という規則性です。ここでは「地震現象には規則性がある」という命題は反証されていません。地震に関する個別の規則性については、それをテストすることが可能です。そして、テストによって反証されることがあり得ます。仮にそのような失敗を重ねた結果、帰納によって「地震現象には規則性がない」と判断したとしても、その判断は蓋然的なものにとどまるので、「地震現象には規則性がある」を反証したことにはなりません。

 このように考える時、「地震現象には規則性がある」は反証不可能であることが分かります。それは「すべての病気を直す呪文がある」が反証不可能であるのと同様です。もし「地震現象には規則性がある」が反証不可能であるならば、「すべての自然現象には規則性がある」もまた反証不可能となります。

 他方で、「すべての自然現象には規則性ある」は全称命題であり、検証不可能でもあります。したがって、自然の斉一性原理は、検証も反証も不可能な命題です。

 では、自然の斉一性原理の正当性をどう考えたらよいでしょうか

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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