41 自然の斉一性原理は、「P-妥当的」ではない (20210809)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#自然の斉一性原理は、「P-妥当的」ではない

「P-妥当的」な擬似対象文であるとは、その実質的形式の発話を構文論的文に書き換えたときに、論理法則と意味公準と物理法則から導出できるということです。しかし、自然の斉一性が「すべての自然現象は規則的である」と表現できるのであれば、これは、論理法則や意味公準から導出できないし、また特定の物理法則からは「すべての自然現象」についての斉一性を導出することはできません。したがって、自然の斉一性原理は、「P-妥当的」な擬似対象文ではありません。

#すべての実質様相の文(対象文)は、ある意味では、形式様相の文(構文論的文)に書き換えられるが、しかしすべての実質様相の文が、擬似対象文なのではない。

 すべての文について、それを構成している語の構文論的関係を語ることができます。しかしその構文論的文が、もとの文と等値であるとは限りません。この二つが等置であるとき、つまり、「ある対象文が真であるとは、それの構文論的文が真であるとき、その時に限る」が成り立つとき、つまりある対象文がそれと等値な構文論的文を持つとき、その対象文を擬似対象文と呼ぶことにしたいと思います(カルナップもこう考えると思うのですが、自信がありません)。こう理解するとき、「自然は斉一的である」は擬似対象文ではありません。

ところで、「自然の斉一性」は帰納推論の前提として語られることが多いのですが、帰納によるのであれ、その他の仕方によるのであれ、自然法則を求めるときには、自然現象が規則的であること、つまり法則的であることを想定しています。つまり、およそ自然研究をするときには、私たちはつねに自然の斉一性を想定していると言えると思います。

(次回は、これまでの話を振り返ってまとめておきたいとおもいます。)

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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