[カテゴリー:問答の観点からの認識]
#遂行文発話による宣言
前回述べたように、遂行文発話は、宣言発話になる。なぜなら、遂行文発話は、その遂行文が表現する発語内行為を、発話と同時に実現するからである。例えば、
「私はこれがリンゴであると主張する」
この遂行文発話によって、主張という発語内行為は、実現する。(ただし、「これ」が指示する対象が存在しないなど、発語内行為の必要条件が満たされていないときには、この発話は無効であり、発語内行為は実現しない。)
では、なぜ遂行文発話は、発語内行為を即座に実現するのだろうか。それは、遂行文発話が、問いに対する答えとして発話されるからではないだろうか。今回は、これを説明しよう。
これを説明するために、まず非遂行文発話の発語内行為について考えよう。
#非遂行文発話による発語内行為
非遂行文発話は、どのようにして発語内行為をすることになるのだろうか。たとえば、
「これはリンゴである」
という発話は、主張という発語内行為を行っている。それができるのはなぜだろうか。
それは、この発話が、「それはリンゴですか」という問いに対する答えであること、あるいは明示的にそうではないとしても、暗黙的にそのような問いの答えであると見做せること、によるのではないだろうか。
このように言える理由を説明しよう。ある発話「p」を主張するということは、「なぜpなのか」や「なぜpといえるのか」の問いに対して答える用意があるということである。そのような用意があるのは、「pなのか」という問いに対する答えとして、「p」を発しているからだと考えられる(あるいは、「p」を答えとする補足疑問の答えを発しているからだと考えられる)。
問いに対して「p」と答えるとは、多くの答えの候補からそれを選択することであり、その選択の理由があったはずである。それゆえに、「なぜpといえるのか」という問いに対しても、答える用意がある。つまり非遂行文発話が発語内行為を行うことになるのは、それが暗黙的に、問いに対する答えとして発話されること、いいかえると「なぜそうなのか」という問いに答える用意があることによる。
#遂行文発話の発語内行為
遂行文発話が発語内行為を行うことになるのも、同じ理由であり、その発話が問いに対する答えとして発話されることによってである。
ただし、遂行文発話の発語内行為は、宣言である。なぜなら、遂行動詞は、発語内行為を表現する動詞であり、遂行文は遂行文自身の発語内行為を表現しているからである。これに対して、非遂行文は、非遂行文の発語内行為を表現していない。例えば「これはリンゴである」は発語内行為を明示的に表現していない。
#相関質問と発語内行為
ところで、どのような発語内行為を行っているかは、相関質問が何であるかに依存する。
例えば、「これは何ですか」に「これはリンゴです」と答えるとき、答えが主張という発語内行為を行うのは、問いが、それを求めているからである。「これは何ですか」という問いは、答えについて、「なぜそう言えるのか」と問われたならば、「なぜなら、・・・」と答える用意があることを求めている。
約束の発語内行為の場合には次のようになる。週末に「土曜日に映画に行きませんか」と問われたとき、「行きましょう」と答えることは、「なぜそうするのですか」とさらに問われることを想定していないし、そう問われたとき「なぜなら、・・・」と明確な理由を答える用意が無くても、可能である。
「行きましょう」と答えることは、この約束を守るべきであること、約束を守れなかったときには何らかのサンクションを受けること、などを引き受けることである。
命令の発語内行為の場合には次のようになる。「これをどこに置きましょうか」と問われて、「そこにおいてくれ」と答えることは、「なぜそうするのですか」と問われることを想定していないし、そう問われたときに、答えてもよいが、答える義務はない。「そこにおいてくれ」と答えたならば、それが実行されたならば、その結果を是認することが義務となる。相手が指示とは異なった場所に置いたならば、置きなおすことを要求できることを想定している。
宣言の発語内行為の場合には、次のようになる。「この子の名前を何にしますか」と問われて、「この子をソクラテスと命名します」と答えることは、「なぜそうするのか」と問われたときに、答えてもよいが、答える義務はない。
真理値を持つ主張の発話は、「なぜ」と根拠を問われたならば、答える責務があるが、真理値を持たない約束や命令や宣言の発話は、「なぜ」と根拠を問われても、それに答える責務はない。この場合には、「なぜ」によってその理由を問うことは出来る。しかし、理由を問われても、それに答える責務があるかどうか、その他の条件に依存している。
問いが答えに何を要求しているかは、問いが答えとしてどのような発語内行為を想定しているかに対応している。問いが、答えにどのような発語内行為を要求しているのかは、疑問文だけからは決定できない。例えば、「これは何ですか」が記述を問う問いなのか、宣言を求める問いなのかは、あるいはそれ以外のものなのか、は、文脈によって決定されるし、明示化される。
前回予告していたことだが、次回こそは、意図決定問答と宣言的問答の関係について明らかにしたい。
(AIに「問答の分類」「問答体系全体」の目的が不明確であると指摘されたので、これについても考えたい。)
