[カテゴリー:日々是哲学]
「○○は、これからどうなるのだろうか?」という形式の問いに答えることが未来を予想することである。前回例に挙げた「米中関係は、これからどうなるのだろうか?」「AIと人間の関係は、これからどうなるのだろうか?」などに答えることが、未来予測である。その場合の一つの方法について前回述べたとが、今回は、このような形式の問いとそれへの答えについて考察したい。
「Aは、これからどうなるのだろうか?」という問いは、次のことを前提している。
・Aが存在すること、
・Aが未来永劫ではないとしても、ある程度の未来においても存在すること、
・過去、現在、未来、という時間の流れが存在すること、
この問いに答えることは、これらの前提を受け入れることあるいは質問者とこれらを共有することである。
では、人が未来予測の問いを立てるのは何故だろうか? これに対しては、次のような理由が考えられる。
(1) 知的な関心(理論的な関心)による
(2) 実践的な関心による
(2-1) 実践的な問いに答えるために、その未来予測を実践的推論の前提として使用する。
(2-2) 実践的な問いに答えるために、未来予測にもとづいて、下位の問い(理論的問いや実践的問い)を立てる。
(2-2)の例
PQ2「たくさんの観光客をまた集めるためにはどうすればよいのだろうか?」
「コロナのワクチンは、いつ頃できるだろう?」(未来予測の問い)
「ワクチンができるのは、早くても来年だろう」(未来予測)
PQ1「ワクチンが完成してから、観光客が戻るまでの期間を短くするにはどうすればよいだ
ろうか?」
(あるいは、
TQ1「ワクチンが完成してから、普及するまでにはどのくらいかかるだろうか?」)
このように、未来予測は、実践的な関心(実践的な問い)に答えるための前提となるか、実践的な問いを立てるための前提となる。