始め、中間、終わり

夢のようなアルゴンキン

さて、次の問題を考えてみます。
「人生を物語として捉えなければ、「自分の死に対してどのような態度をとるべきか」というような問題は成立しないのでしょうか?」

その前に(またしても「その前に」ですね)、「人生を物語として捉えるとはどういうことか」という質問があるかもしれません。

(「その前に」を繰り返しているうちに、最初の問題を忘れてしまうことがあります。「その前に」というのは、結局、最初の問題から逃げているのではないか、と疑われても仕方ありません。しかし、まあ、そんなことを考える、その前に、話を進めましょう。)

「人生を物語として捉えるとはどういうことか?」
これに答えるのは、簡単です。私は、物語をアーサー・ダントーが説明している意味で理解しているからです。もちろん、物語についてのほかの定義もありうるでしょうか。ここではダントーの定義を採用したいとおもいます。物語とは、物語構造を持つもののことであり、物語り構造とは、始めと、中間と、終わりがあるということです。
 Xはt1でH1である。
  Xはt2でH2である。
  Xはt3でH3である。
これが物語の基本構造です(今、彼の本を手元においていないので、表現の違いはあるかもしれませんが、彼が考えいてるいる、と私が考えているのは、このようなことです。)
したがって、「人生を物語として捉えるとは、人生を、始めと、中間と、終わりをもつものとして捉えることです」というのが、答えです。
(これでは、不十分だとか、解からない、という方がおられましたら、ご質問をお願いします。)

さて、これで最初の問題に戻りましょう。
「人生を物語として捉えなければ、「自分の死に対してどのような態度をとるべきか」というような問題は成立しないのでしょうか?」

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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