68 述語の核心的部分を問うことは出来ない (20220308)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

文が与えられた時、平叙文に限らず命令文や感嘆文などが与えられた時でも、文のほとんどの要素について、それを問うことができます。しかし、その場合でも述語の核心的な部分は、それを問うことができません。なぜなら、述語の核心的な部分は問いが成立するためにも必要だからです。今回はこのことを説明します。

#文のほとんどの要素については、それを問うことができます。

ある文ないし命題が与えられたとき、そのどの部分でも問うことができるように見えます。文「フクロウは夕方に森で飛ぶ」が与えられたとき、「何が、夕方に森で飛びますか」、「フクロウはいつ森で飛びますか」とか、「フクロウは夕方にどこで飛びますか」とか「フクロウは夕方に森で何をしますか」など、どの部分でも問うことができるように見えます。ある文が与えられた時、名詞句であろうと、形容詞句であろうと、副詞句であろうと、前置詞句であろうと、問うことができます。(また真理値を持つ主張文ではなく、真理値を持たない文、命令文や約束文や願望文や宣言文などなどであっても、どの部分でも問うことができます。)

 ただし例外があります。

#述語の核心的な部分は、問われることはない。

与えられた文のほとんどの部分について、それを疑問詞に変えて補足疑問文にすることができます。つまりその部分を問うことができます。ただしあたえられた文の述語の核心的な部分については、問うことができません。なぜなら、その部分を疑問詞で置き換えることができないからです。それは次のような部分です。

 「である」を述語とする文の場合、その「である」の部分を問うことはできません。

「である」は、主語と述語をつなぐ繋辞、同一性の表現、存在の表現、という3つの働きがあります。これらの部分を疑問詞に置き換えることは出来ません。つまり広義の述語の中の核心的な部分を問うことは出来ません。

 通常の動詞の場合にはどうでしょうか。

 「フクロウは飛ぶ」

の場合、「飛ぶ」の部分を次のように問うことができます。

 「フクロウは何をしますか」

つまり、これは元の文を

 「フクロウは、飛ぶことをする」

と言い換えることによって、「飛ぶこと」の部分を問うています。元の文の述語「飛ぶ」を「飛ぶことをする」と言い換えることによって、「飛ぶこと」の部分だけを問い、「をする」の部分を問わずに残しています。通常の動詞の場合には、その動詞を、動作を表す一般名+「をする」という述語に変えて、その一般名の部分を問うことができますが、しかし「をする」という述語の核心的な部分を問うことは出来ません。

このように補足疑問文は述語の核心的な部分を含んでおり、その部分は答えの中に継承される。補足疑問の問答は、述語の核心的な部分の継承なしには不可能です

前回<命題を統一するのは、問答関係である>と述べましたが、それは今回述べた<述語の核心的な部分を問うことはできない>ということとどう関係するのでしょうか?

それを次に考えたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。