37 問答としての「提示」 (20210323)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

表象と提示の違いは、簡単に言えば、表象は充足条件と間接的に関係し、提示は直接に関係するという違いです。表象が充足条件である対象や事態に間接的に関係するということは、「指示」(場合によっては、表示や表現)の関係にあるということを意味しますが、この「指示」の説明が難問です。私は、指示は、問いに対する答えとして可能になると考えています(これについては、『問答の言語哲学』で説明しました)。ただし、知覚報告における指示は、知覚を介するので、知覚における提示についても考慮する必要があります。サールは、知覚の提示は、対象と直接に関係すると言います。たしかに、物からの因果関係で知覚が生じます。しかし、何を知覚するかは、主体が何を探索するかに依存します。物のどこに注目するかも、主体の探索に依存します。(サールは知覚の因果説に批判的です(cf. これとは別の理由で、サールも知覚の因果説に批判的です。つまり知覚における自己言及的志向性を看過しているという理由です。cf. 『志向性』訳、66) 以前に(30)で述べたように、ここには次のような広い意味での「二重問答関係」(正確には、問答と探索発見の二重関係)が成立しています。

  対象についての問いQ2→主体の探索Q1→知覚A1→知覚報告A2

(Q2とA2は言語的な問答関係、Q1とA1は非言語的な探索と発見の関係になります。)

行為内意図は行為を惹き起こします。物体としての身体の運動が、他の物体を動かします。したがって、行為内意図は身体運動を介して、世界を変化させます。行為内意図が身体運動を惹き起こすのは、行為内意図を形成するニューロン群の発火が、筋肉につながった、運動神経(遠心性神権)とよばれるニューロンを発火させることによるのだと思います。先行意図を形成するニューロン群と行為内意図を形成するニューロン群がどういう関係にあるのか、それぞれのニューロン群の発火同士がどのような関係にあるのはわかりません。行為内意図の意識は、「何をしようとしているのですか」という問いに対する答えとして生じると思いますが、他方では、行為を遂行する間の細かな行為の調整には、対象についての知覚や身体状態についての探索と知覚も利用されているはずです。この行為調整では、言葉にすれば「どうしよう」というような探索が行われているとおもいます。

 とりあえずは、このくらいにして、次に志向性としての「信念」と「願望」の考察に移りたいとおもいます。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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