余滴

■この書庫では、悪の起源ではなく、悪意の起源を考察しようとした。
その理由は、悪の起源を探究するには、悪の定義が問題になるが、それには幾通りも答えがあり、その問題にまきこまれたくなかったこと。次には、悪の起源というものの考察は曖昧になりがちであること。たとえば、悪意がなくても悪はありうる。正義の戦争のときのように。悪意の起源であれば、当人が「悪意」と見なしている意志の起源として理解しておくことができること。それによって、より具体的、より限定的な分析が可能になること。

■悪意の起源の説明方法
社会学が説明するのは、悪意を生じさせる社会的な原因である。
心理学で説明するのは、ある個人の心に中に悪意が生じる原因、ないし理由である。
哲学が説明するのは、彼が悪意を持ち始めるときの思考のプロセスである。そのプロセスには、間違いがあるかもしれない。間違いがあるとすれば、間違いの根拠ないし理由ないし原因があるだろう。それは、また別の間違った判断かもしれない。(私がこころみたのは、この哲学的な説明である。)

■苦しんでいる人がいるのに、それを無視することは、悪である。助けられないのならば、仕方ないかもしれないが、助けられるのに、助けないのは、悪である。もしこのようにいえるのならば、我々のほとんど全ての人は悪人である。なぜなら、世界に飢えで苦しんでいる人がいること、戦争で苦しんでいる人がいること、貧困で苦しんでいる人がいることを、我々は知っているからである。我々は、ひそかに自分が悪人だと思っているのではないか。我々は無視するときの悪意に気づいているのではないか。ただし、自分の悪意をすぐに忘れてしまう。泥棒がいつも自分の悪意を意識しているのではないように。(特異な悪意は、我々の中に偏在するこのような悪意と無関係ではないだろう。)

支配者は、大衆を分割して統治しようとする。支配者は、分割された人々をして、互いの苦しみに対して無関心にさせ、互いに悪意を抱くようにさせる。相互に対する悪意は、支配者に対する敵意を緩和するだろう。さて、現代の支配者が誰かはわからないが、現代世界はまさにそのようになっているのではないだろうか。(たとえば、現在のUSAでは、アフリカンとラティーノが分断され、失業問題など利害が対立しているようだ。たとえば、現在の日本では、正規労働者と非正規労働者は分断され、利害が対立している。)人々は互いに分断され、互いの苦しみに鈍感であり、互いにたいする悪意が満ちている、そういう世界に生きている。

日々の生活に追われて、我々は他人の不幸に鈍感になる。もちろん、他人に対する無関心は、産業資本主義社会が生み出した個人主義が、その裏面として伴っているものである。伝統的共同体の中では、他人に対する配慮が必要である。産業資本主義はそのような共同体を解体し、そのような配慮から個人を自由にした。我々は他人を配慮しなくてよくなった。しかし、他人も私のことを配慮しないから、私には他人を配慮する余裕がなくなった。他人への配慮は、道徳の不完全義務の一つになった。つまり、「あなたに余裕があるなら、そうしなさい」ということだ。そして、個人主義の競争社会の中で、我々にはその余裕がなくなった。

では、どうしたらよいのだろうか。
一言で言うと「個人主義の行き過ぎ」なのかもしれないが、このように語る保守主義者が、外国の困っている人人に無関心であるのはどうしたことか。それは、彼が求める共同体は、封建的な共同体であるということだ。我々はそのような共同体よりは個人主義をよしとして選び取ってきたはずである。

では、どうしたらよいだろうか。
そのためにはおそらく資本主義にかわる経済システムが必要なるだろう。それが解かるまでは、無関心という悪意に満ちた世界の中で、余裕のあるときに他者に配慮しながら生きていくしかない。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「余滴」への3件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    はじめまして。ランダムからきました。
    「悪意の起源」、とっても興味深く読ませていただきました。
    「他人への配慮」など、もう一度じっくり読んで
    考えてコメントさせていただければと思います。
    また、伺わせていただきます・・・

  2. SECRET: 0
    PASS:
    コメントに今まで気づきませんでした。ありがとうございました。お礼が遅くてすみません。
    秋原原事件の犯人は、社会に対する悪意を持っていたのでしょうが、彼は「私たち」の彼に対する悪意を感じていたのではないでしょうか。私たちが、苦しんでいる人を見て見ぬふりをするとすると、私たちは悪人であり、私たちには悪意があるのです。彼は、それを常に感じていた様な気がします。

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