[カテゴリー:哲学的人生論(問答推論主義から)]
人生の意味を問答推論関係として説明することは、重度の知的障害を持つ人にも適用される。なぜなら、問答推論関係に関して、そのほかの人との違いがないからである。人生の意味の説明に関して、重度の知的障害を持つ人もまた、その他の人と同じように、上流問答推論を持ち(つまり、多くの人や出来事の影響を受けて行為し)、また下流問答推論を持つ(多くの人や出来事に影響を与える)。
これに対しては、次のような反論があるかもしれない。<そのように考えるならば、動物の生涯の「意味」も、またさらには道に転がる石の「意味」も、すべて問答推論関係として説明することになるだろう。そのような説明の拡張可能性は、問答推論関係による人生の意味の説明が、間違いではないとしても、不十分であることを示している。>
このような反論に対してどう答えたらよいだろうか。今のところ、次のように答えたい。<人生の「意味」は、路傍の石の「意味」と原理的に変わりがない。ただ、これらが持つ問答推論関係は異なっている。しかし他方で、「意味」があるものと「意味」がないものものという二分法は成り立たない。>