16 オペラント行動の規範性  (20201220)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?」

 前回の「「おすわり」の規範性」というタイトルは、誤解を招いたかもしれない。人間が犬に「おすわり!」というとき、それは命令であり、命令が規範性を持つことは自明であるからである。ちなみに、ここで命令が「規範性を持つ」とは、<命令に従えば、褒められたり餌を得られたり、よいことがあるが、命令に従わなければ、叱られたり、餌をもらえなかったり、ひょっとすると罰を与えられたり、など悪いことがある>ということである。

 しかし、前回言いたかったのは、誤解はなかったとは思うが、人間の「おすわり」という発話が人間にとって規範性を持つことではなく、この発話が犬にとっても規範性を持つということである。このような主張に対しては、<そのような理解は、犬に自分の規範意識を投影しているだけであり、犬自身は規範意識を持っておらず、オペラント反応は、条件反射と同じように意識活動なしに生じるものである>という反論があるだろう。

 この反論に答えるには、犬自身が「おすわり」という発声に、またそれに対する自分の反応についての規範性を理解している証拠が必要である。

犬が、「おすわり」という声をきいたとき、従ったときと従わないときに何が後続するかを明確に理解していないが、<従ったときと従わないときでは後続することに何らかの違いがあることだけは理解している>ということがありうるだろう。これを「弱い規範性」の理解と呼ぶことにする。

 この弱い規範性の理解の証拠となるかもしれないのは、次のような実験である。<ケージの中に大小二つのボタンがあり、鶏が、大きな方のボタンをつつけば、餌が出てくるようになっている。そのケージの中で、鶏は、大きなボタンを押して餌を手に入れるというオペラント行動を学習する。先行刺激は大小のボタンの知覚であり、オペランント行動は大きい方のボタンをつつくことであり、餌を手に入れることが、結果である。次に、この大小のボタンをいろいろな大きさのものに取り換えて、ただし常に大きな方のボタンをつついたら餌がでることを学習させる。そして、ボタンの大小の違いが簡単には判別できないようなものにしたとき、鶏はどちらをつついたら良いのか分からずにストレスを感じているような振る舞いをした。> (この実験報告を、ベイトソンの本で読んだような気がするのだが、どの本であったかおもいだせない。また他の本でも似たような報告を読んだ気がする。どなたがご存知の方がいたら教えてください。)

 もちろん、鶏がストレスを感じているような振る舞いをするとしても、そう見えるだけかもしれないし、ストレスを感じているとしても、それは私たちが意識するようなストレスではないかもしれない。これは、どちらかのボタンを押さなければならないという「弱い規範性」を理解している証拠にならないだろうか。

 オペラント条件付けの先行刺激とオペラント反応は、第三者から見れば、つねに規範性を持っている。つまり、反応に応じて、利と害が生じる。しかし、オペラント反応をする動物自身がその規範性を意識できているとは限らない。その規範性を意識できていない動物は、オペラント行動によって、探索しているとは言えないだろう。

 人間が問うことによって何かを探索するとき、問うことは、その成否を意識しており、答えの規範性を意識している。つまり、問うときには、常に真なる答え(あるいは適切な答え)を得る必要があるという、規範性を意識している。