15 「おすわり!」の規範性  (20201214)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

 動物の訓練は、オペラント条件付けを用いて行われる。例えば、前回挙げた例では、犬は、「おすわり!」の命令(先行刺激)を受けて、お座り(反応)を行い、褒美の餌を手に入れる(結果)。これの反復によって、犬が「おすわり」ができるように訓練する。

 「おすわり」と言われて、お座りができるようになった犬は、「おすわり」といわれたときに、行う反応(オペラント行動)を表象しているのだろうか。その行動をしたときに、得られる食べ物(結果)を表象(イメージ)しているのだろうか。訓練ができている動物の場合、それらを表象しているように思われるが、しかし仮に、その表象(イメージ)がなくても、その行動をするかもしれない。なぜなら、ここでの「おすわり!」を聞くことと座ることは、条件刺激と条件反応の関係のように、表象を介していない関係である可能性があるからである。「おすわり」と言われたら、習慣として、座る行動をしているのかもしれない。

 ところで、十分に訓練された状態の犬の場合には、「おすわり」という発話が、その犬に対して、命令としての規範性をもつようになるのではないだろうか。つまり、「おすわり」と言われたときには、お座りして褒められるか、お座りしないで叱られるか、どちらかが後続することを予想するにようになるのではないだろうか。もしある状態を予想するのだとすると、その状態を表象(イメージ)していると言えるだろう。おそらくある状態を表象しないで、その状態を予想することはできないだろう。しかし、犬がこの予想をしているかどうか、どうやって判定したらよいのだろうか。

 ところで、現代哲学では、判断や言語使用の規範性が強調される。判断は、言語なしにはできないし、言語は、使用の規則に従うことなしには成立しない。人間の言語を用いる行為はすべて、言語の規則従うという規範性を持っている。言語が成立して、規範性がそれに付け加わるのではなく、言語は規範的なものとしてのみ成立するのである。したがって、言語の成立よりも、なんらかの規範的なものの理解の方が先である可能性がある。

 ここで「おすわり!」という命令を、犬が、座れば褒められ、座らなければ叱られるものとして理解しているのならば、「おすわり!」という人の声を、規範的なものとして理解しているのである。この場合、「おすわり」という主人の声を聞くことと、座る行為の間の関係は、条件刺激と条件反応の関係のようなものとはことなる。規範を理解するということは、それに従ったときに何が後続し、従わないときに何が後続するかを理解するということである。では、訓練された犬にとって、「おすわり」という声は、本当にこのように規範的なものなのだろうか。

 犬が、「おすわり」という声をきいたとき、従ったときと従わないときに何が後続するかを明確に理解していないとしても、従ったときと従わないときでは後続することに何らかの違いがあることだけは理解するということがありうるのではないだろうか。

 規範性についてのこのような弱い理解を持っていることについては、私たちは証拠を示すことができるかもしれない。それを次に検討しよう。